2002-08-25

ある訪問者    NO 176

ある大手仏壇店の社長が来社された。ある団体の関係で弊社専務との交流があるところから、私の隠れ家にご案内することとなった。

「仏壇の業界が厳しいのです」 それが社長の第一声だった。

 確かに仏壇を購入される方が少なくなっているようだ。これらは儒教精神や宗教観意識の稀薄を背景に、墓地や墓石の業界にも共通しているところである。

 弊社が葬儀を担当させていただいた場合、後日に「仏壇屋さんの紹介を」と頼まれることも少なくないが、そのすべてをお断りするのが弊社の企業理念のひとつである。

 なんとビジネス感覚のない企業だと思われるかも知れないが、仏壇にはお寺と檀家という関係があり、納入の後日には「入佛」や「入魂」という大切な儀式の存在もあり、「物」として販売したくないとの考えがあるからだ。
 もちろん、入佛や入魂をするまでは「物」だと反論される方もあるだろうが、お家に納入された時点で「物」でなくなり、購入される方々にもそんな思いで仏壇を迎え入れていただきたいと願っている。

「これは、満中陰に私が入佛した仏壇である」 満中陰やご命日にご当家を訪問されるお寺様のご心情を慮ると、それがベターであるという信念が私の経営哲学である。

 大半の仏壇屋さんの経営姿勢に「お寺様への接待」があるようだが、これは仕方がないことだろう。ご本堂の改築や宗教用具の購入なども絡み、ご住職のお人柄を熟知する必要もあり、コミュニケーションは重要であると理解している。

  ところが、今のお客様は、インターネットや情報把握から「何処が安価か」ということを重視され、ネットで販売契約ということも増えてきているし、三割引、 半額セールという販売戦略のCMも多く見るし、「ないより益しだ」との考え方には勝てないが、仏壇というものは購入される時の「思い」に「重い」意味があ ると考えている。

 仏壇に伴う迷信も幾つかあるが、その中のひとつに「用事もないのに仏壇を購入すると新仏を呼ぶ」ということがあり、これらの払拭は宗教者と仏壇業界の重要な責務であると考える。

 家の宗教が仏教であれば、家に仏壇が存在しないことがおかしい。それは、本家、分家を問わずであるというのが本来であった筈。それが、どうしてこんなことになってしまったのだろうかと不思議に思ってならない。

 仏壇を売るのは「人」である。仏壇は単なる「物」ではない。人が大切なものの製作と販売に従事していることの認識の重要性。そんな私の話に耳を傾けてくださった社長は、
全従業員に向けてのレクチャーを要望され、来月に訪問する予定になった。

 購入される方々が何を求めておられるのか。何を望んでおられるのか。どんな疑問が生まれ、何に恐怖感を抱いておられるのか。そんなことをお話することを約束して帰られた。

  世の中のすべてに変化が生まれているようだが、不変である世界があることも事実である。「仏壇は孫まで三代に」という言葉があるように、製作は卓越した職 人さんの世界でもある。そんなところから、歴史、伝統、本義という「原点」だけは忘れないようにしたいものであるが、家具調仏壇など、現代スタイルの仏壇 の出現も時代の流れなのかと感じている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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