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2024-05-26

また行きたいことが  NО 10161

野菜の素晴らしいすき焼きを食べ終わって旅館の玄関に行ったら、イノシシが出没しているので外出はご遠慮くださいというような貼り紙があったので部屋に戻って横になった。

朝食が済んで支払いを済ませ玄関を出たら何か懐かしい感じが敷いて不思議に感じた。観光客向けの売店があって片隅に置かれていた白い「かわらけ」が目に留まって過去に時間が流れた。その素焼きの皿は谷底へ投げて目標に入れる観光客向けのゲームだったが私が中学3年生の修学旅行で訪れた場所で、それをこの場所で体験していたことを思い出したからだった。

半世紀のタイムマシーンが遡ったことになるが、それを妻に伝えたらびっくりしていた。「かわらけ」を投げることはしなかったが、売店を過ぎてしばらく歩くとホテルや旅館の廃墟が並んでいてびっくり。帰宅してから調べたらネットの廃墟マニアの人気スポットになっており昔は賑わっていた事実を知った。

そんな廃墟を過ぎてタクシーを降りた駐車場にやって来たが、バス停があったのでバスで降りることにした。

降りる駅のことは考えていなかったが、景色を観ながら下って市街地へ入ったら、琴電の駅があったので降りて電車で高松まで行くことにしたが、祖中に栗林公園駅があって立ち寄った。

もう3回目となる観光地だが数年前にお寺の団参で行ったことがあったので懐かしかった。

そのお寺の団参には夫婦で何度も参加したことがあるが、妻は増上寺の団参に行き、「篤姫」の墓地へいて喜んでいたし、アメリカやブラジルのお寺との交流で参加したこともあった。

夕方から銭湯へ行った。お気に入りの温めの湯は「どくだみ湯」でチャイⓇの中で20分ほどあたたったが、左足を確認したら15か所も傷跡がある。転倒した際に付けた傷跡だと思うが、転倒しないように気を付けようと反省した。

綿足が小学校4年生の時に入った東粉浜温泉の銭湯のことを憶えている。深い湯船の下で女湯とつながっており、友人達が潜って行って叱られていた。

5年生から生野区へやって来て近くの銭湯へ行くことになったが、げんざいの生野工業高校の正門近くの通称「爆弾湯だ」った。

戦時中にバ管の被害に遇ったことからそう呼ばれていたらしいが、その後に現在の南生野温背の場所に移転し、我が家に近いので重宝している。

最近張っているユーチューブがある。皆さんも楽しまれたらとお勧めするのだが「akiさんのエレクトーン」の世界で、「荒野の七人」から始まったものだが、ポール・モーリアの「蒼いノクターン」や「涙のトッカータ」も秀逸だった。

数日前、「江口のりこさんの「ソロ活」という番組で隅田川の屋形船を放送していて、船内でてんぷらを食べられていた。スカイツリーも見える浅草付近が印象に残ったが、長生き出来たら乗船してみたいものだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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