2018-08-26

何でだろうか?  NO 8290

平山温泉 湯の蔵昨日、朝から医院へ行った。待合室で近所の知人3人と会って互いの健康状態を話題にしたが、それぞれが「1か月毎」「2週間毎」「週一で」ということで慰め合って来た。

微熱の原因が分からない。血液検査にも出ないので困惑するが、「しんどい」日々から抜け出せないので困っているし、食欲がないのは当然だが、食べても味を感じられないので楽しめない。

不自由になりつつある目の調子も深刻になって来た。この「独り言」を打ち込むのに天眼鏡が欠かせず、過去の3倍の時間を要するようになった。

過日に会った友人から「誤変換が増えたね」と言われたが、誤字脱字も増えているのも確実で、そのパーセンテージがどんどんアップするだろう。

ずっと耳鳴りという症状もあるし、歩行に差し障りも出て来ているので大変だ。マイナスのことばかりを考えないようにと友人から言われたので、「味覚があるだけ幸せだ」と返しておいたが、もしも大病を患っていなければ晩年に何をやっていただろという話題になり、ふと返してしまったのが「四国のお遍路」で、車で温泉巡りを兼ねてと言うと笑われた。

「同行二人」は「お大師さん」と一緒という意味で、全行程を歩いて回り、ホテルや旅館ではない宿泊施設を利用し、お遍路ならではの「お接待」を受けるのが大切だが、私が考えていたような「ただ参拝に回るだけ」というのは大きな声で言えないかもしれない。

フェリーで北海道に行って温泉巡りをと描いていた晩年の夢は叶わなくなったが、全国に点在する友人や知人と会うことは何よりの楽しみで、現在では限りなく残された私の生き甲斐となっている。

今日も朝風呂に入ったが、しっかりと手摺を握っておかなければ転倒の危険があるが、まだ介添えなしで入浴出来ることは有り難いと手を合わせている。

最近は旅の情報を伝える旅番組も増えた。過去に訪れた観光地や行ってみたいとおもうような興味を抱く観光地が増えるのは嬉しいことだ。

大病の後遺症はこれからの人生で「宿命」「試練」と考えて生かされていかなければならない。左半身の温覚と痛覚が麻痺する知覚障害があるので左側の内臓に異変が起きても痛みを感じないので問題がある。左手の爪も右手に比べたら五分の一程度のスピードでしか伸びないので不思議だが、そんなことを理解するだけで生かされていると考える思いが強くなる。

半月程前、久し振りに会った知人が左の手を握って再会を喜んでくれたが、異常な冷たさに驚かれていた。

左手の冷たさは自分でも尋常ではないと感じるが、動きだけは普通なので他人には理解出来ないだろう。

左足の冷えは相変わらず、温泉の露天風呂のある部屋に宿泊して到着時から6回ほど温まるのが至福のひととき。数日前に書いたが、猛暑を過ぎたら電気毛布を持参して旅行に行かなければならない時期を迎える。奇跡的に生かされていると考えさせられた大病だったが、来年の寒い季節で10年目を迎える。

これまでに何度も入院体験があるが、今度入院したら戻ることはないだろうが、入院する前にしておかなければならないことが山ほどあるのでぼちぼちと進めている。

今日の写真はお気に入りの平山温泉「湯の蔵」の駐車場で撮影した一枚を。奥の方に5回利用した寿亭がある。
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