最古
2024-04-18

大嫌いな緊急地震速報の音  NО 10135

火曜日、一寸体調が優れなかったのでリハビリを休み医院へ行っていつもの薬を2週間分薬局で貰ってきたが、薬局の入り口で妻の友人と会った。

医院へ行った際、過日に耳が痛いとマスクの問題を訴えたが、先生が医療用のマスクをくださって恐縮した。

火曜日の夕食は食欲がなかったので、近所のお好み焼店に持ち帰りを頼み、自宅で食べた。

夜のニュースを観ていたらインドネシアで大規模な火山噴火があったそうで、津浪の譲歩王を確認中と報じていたが、少したってから津波の心配はありませんと流れた。

11時を過ぎた頃、テレビの画面に「緊急地震足穂」が流れて緊張した。あの音は本当に共感を覚える。だからこそ身構えるのかもしれないが、NHKにチャンネルを変えたら愛媛県と高知県で「震度6弱」を観測していた。

震源地は豊後水道で仮名にの地域に揺れを伝えていたみたいだが、この地震で思い出したのが山陽道で九州から帰阪する際に走行していた広島県で体験した「芸予地震」で、ハンドルをしっかり握っていたから事故を起こさなかったが、もしもそうでなかったらだいじこになっていたと想像するほど恐ろしかった。

帰阪してから震度を調べたら広島県でしんど5弱となっていたが、鳥取県から愛媛県に渡る強い地震だった。

1996年の4月に熊本県で発生した「震度6弱」と二日後に発生した「震度6強」の地震は大変だった。

櫓炬燵に入って妻が寝ていたが、私はテレビのテロップに流れた「震度6」の速報にびっくりし、妻に熊本で地震らしいと伝えたが、妻はあまり反応しなかったが、実家はその地震で大きな被害が出ていた。

結果として二日後の地震で建物の中に入ったら危険と診断されて解体して新築されたらしいが、ずっと行っていなかったので連れて行って宇ありたいと思っていたが昨年の12月に亡くなってしまって果たせなかった。

妻の妹も実家へ帰っていないので連れて行ってやりたいと昨秋に宮崎空港から生駒高原のコスモ雄を見てから人吉、八代を通って実家に行く予定を組み妹が車椅子を担当してくれることになっていたが、妻の体調が芳しくなく、予定を取り止めたことが残念だった。

前号で触れた「霧島ホテル」だが、昨年の妻の誕生日に友人と武雄温泉から雲仙宮崎旅館を経て平山温泉に行き、次の日に鹿児島中央駅で「特急きりしま」に乗り換え、霧島神宮駅から「霧島ホテルの日帰り温泉に立ち寄り、名物の硫黄谷温泉へ行けたが、帰路の鹿児島空港で夕食中に娘から電話があり、「ママの誕生日に何処へ行ってるの?」」と叱られた。

春にも一人で鹿児島空港経由で「霧島ホテル」で宿泊したコットがあったが、「睡眠導入剤」を忘れて行ったので一睡も出来ずに疲れたが、往路の飛行機がかなり揺れたので恐ろしくなり、帰りは新幹線「さくら」で帰阪してきた。

前号で触れた霧島ゴルフクラブのことだが、その時に一緒にラウンドした人物も数ね延前に亡くなってしまい寂しくなる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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