2003-11-24

サービスと「人」?    N0 615

友人に温泉マニアがいる。彼は、日本中の温泉めぐりだけではなく、高級旅館から湯治場までの大半に宿泊体験を持ち、温泉や旅館について「本でも書けよ」と言っているが、そんな気持ちが毛頭ないようで残念に思っている。

 そんな彼だが、「基本的条件を備えた旅館やホテルの良し悪しは、人で決まる」と断言しており、語ってくれた薀蓄に心から納得をした。

 ホテルの宴会やブライダルにも窓口担当者が大切だが、自分のテーブルを担当したスタッフの影響も大きいし、玄関を入った時から帰るまで、館内で出会ったすべてのスタッフが「人」としての判断が下されるもの。これらを総合して一流や二流の称号が冠されることになる。

 旅館の場合、特に部屋係の仲居さんのウェートが大きいよう。彼が、女将の「でしゃばる」旅館に一流はないと言っていたが、私も何度か宿泊体験した中で、この言葉が間違っていないように思っている。

 さて、偉そうなことを書いてしまったが、ここで「いい葬儀」について考えてみたい。

 「いい葬儀だったね」「素晴らしい葬儀だった」 参列者から、そんなお言葉が出る葬儀には、基本となる条件が秘められていることを知っておきたいもの。

 それは、遺族や親戚の皆さんが故人をお送りされる「心」と「悲しみ」。

 時には、心残りが全くなく、悲しみの薄いケースもあるだろうが、それはそれで送られる心情が伝わってくるもの。それなくして「いい葬儀」なんて絶対に不可能なのである。

 立派な祭壇、素晴らしい音楽が流れ、プロのナレーターによる感動のナレーション。

 そんなもので「いい葬儀」なんて完成することはなく、送られる愛情が捧げられる本質が参列者に伝わった時、ここに「いい葬儀」が完成することになる。

 無論、これらには、担当するスタッフと遺族側のコミュニケーションなくして完成することはなく、故人に関する基本的な情報から、ご本人と家族のお心残り、そして近隣の方々や友人からの言葉で伺うメッセージ取材なくして有り得ない世界。

 ホテル、旅館、葬儀社も、すべてがホスピタリティを重視する究極のサービス業。スタッフという「個」の集団が「かたち」として「サービス」を構成していくもの。

 商品販売でない職種にあってのお客様は、代価というものを支払われ、何を得たいかという結論は、はっきりと言って「人としてのプロ」に接して貰ったという満足感。そこに「人」としての資質が求められる訳である。

 今日の担当責任者であった女性スタッフに、今日の結果について質問をした。彼女は、次のように返してきた。

 「一生懸命につとめました。後悔するような失敗はありませんでした。しかし、反省するところがいくつかありました」

 その反省点だが、私が式場で司会を担当しており、すべてを私自身が理解をしている。

 彼女は、確かに成長した。ここで重要なことは、いつまでも謙虚であることだが、それは、京都女性である彼女の天分であるから安心している。
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