2006-01-13

遠い記憶から  NO 1393


  愛媛の塾生のブログに、私が宿泊したことのある旅館元社長の葬儀とあった。間違いなく道後温泉となろうが、数件の旅館に宿泊したことがあり<きっと、あそ こ?>なんて失礼極まりない推察をしながら、ご満足が頂戴できる葬儀となるよう祈念申し上げていたら、今日の号で自信有り気に納得に至ったようなことが書 かれてあり安堵した。

 確か、今年の彼の目標は「謙虚」であった筈。なのに大成功という思いなのだから余程お喜びいただけたと想像する。

さて、小学生時代の国語か社会か忘れたが、聖徳太子のことが教科書に記載されていた記憶がある。

 確か、小高い丘の上から聖徳太子が住民達の家々を眺め、夕餉の支度をする煙で「暮らし振り」を推察していたような物語りで、10人が同時に異なることを喋っても聞き分けることが出来たと書かれ、スーパーマンみたいな人物のように表記されていたようだ。

 歴史に登場する著名な人物には様々な「謂れ」と呼ばれるエピソードがあるもの。お釈迦様が誕生された時の「天上天下唯我独尊」もそうだが、聖徳太子にもびっくりする物語が伝わっている。

 私は、仏教音楽の世界に30年以上前から興味を持ち、ご仏縁を頂戴したお寺様や、本山まで出掛けて行って教えていただいた過去があるし、仏教音楽の作曲者として著名な先生に無理なお願いをし、名古屋でお会い出来た幸運もあった。

 そんな仏教音楽の中で特に荘厳な曲「四弘誓願」のコーラスバージョンが好きで、ホテルで行われる仏教音楽法要などで活用している。

 その「四弘誓願」だが『衆生無辺誓願度 煩悩無量(数)誓願断 法門無尽誓願学 仏道無上誓願成』というものを、何とお母さんの胎内にいる時に唱えていたという伝説があるのが聖徳太子で、私の好む話題でもある。

「以和貴」の言葉や「三宝(佛・法・僧)を敬え」などと、十七条憲法を604年に制定した太子だが、近くに何よりゆかり深い四天王寺があるところから、私なりの低次元な勉強をした思い出もある。

 昔の千円札や1万円札のイメージが強烈に残っているが、ここで余談として脱線話?に入る。

 これまでの私の人生にあって、そんな「お札」の太子の姿にイメージが被さった人物がお2人あった。

 御一人は神道「黒住教」の教主様で、記念式の際に大阪で拝謁し、その自然なカリスマ性に畏怖、畏敬の念。もう一人は、北海道の人物で、結婚式に出席させていただいたこともあるお寺の若い住職である。

 ただ似ているだけではない、そこに間違いなくフィーリングを感じてしまったからであり、今も心に深く刻み込まれて消えない私の「想い」となっている。

 1月も半ば、いよいよハード。昨日、大規模な「偲ぶ会」の会場となっているホテル担当者が来社、1時間ほどお話ししたが、現在全国で行われているホテル葬の「質」について生じる将来性への危機感を共有されたよう。

 また、今日は、思い掛けない超一流ホテル元総支配人さんからのアポが。遠方からご来社くださるというので恐縮だが、久し振りの再会を楽しみにしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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