2017-09-18
台風が過ぎて NO 7976
台風が明石市付近に上陸したが、その前頃から風雨が強くなって来て恐怖感を抱いたが、日付が変わった頃から予想外に影響がなかったので不思議だった。
和歌山でも猛烈な風を記録していたし、友ケ島では40mを超える強風を記録しているニュースにびっくりしたが、我が大阪は信じられない程でホッとした。
速度をアップした台風が北海道に上陸し、全域で暴風雨を吹き荒らしいるニュース映像にびっくりしたが、夕方に会った知人が「大阪とは幸運な都市だね」と言われた言葉が同感だった。
銭湯の煙突が倒れたり橋が流された被害も発生していたが、自然の猛威とは本当に恐ろしいものだ。
葬儀という仕事に従事して受付や会葬者用のテント設備を強風で何度も飛ばされた体験もあるので台風が大嫌いだが、もう一つ恐ろしい体験をしているので書いておこう。
それは昭和25年で近畿地方の他府県で住んでいた時だった。建築を専門とする親戚が建ててくれた平屋の和風建築だったが、釘を一本も使用していない建物で、少し高台にあって坂道の両側に直径50センチ程度の杉の木が存在していた。
当時はテレビもなくラジオから大きな台風が来襲すると近所の人達が語っていたが、子供なりに恐怖感を憶えていた。
その台風は凄まじいものだった。和室の6畳の間のタンスの横に空間を作って母と二人の姉の4人で過ごしていたが、外から聞こえて来る風の音が恐ろしくて堪らず、途中で「ドスン」という音が2回聞こえた。
停電で真っ暗な夜に身を寄せ合って過ごしていたが、やがて「バリバリ」という音がすると同時に雨が室内に落ちて来てずぶ濡れになった。
それから数時間が経って外が明るくなったが、我々がいた部屋の天井が吹き飛ばされて空が見えていてびっくり。外に出て見ると2本の杉の木が家を挟むように「Ⅹ」形に倒れていた。
その台風が歴史に語り継がれる「ジェーン台風」で、今でも恐怖の思い出として蘇って来る。
私が3歳の頃の体験だったが、昨日の台風19号とコースが似ていたので気になっていた。ジェーン台風は死者、行方不明者が500人を超える甚大な被害が発生していたが、当時は進駐軍の統治にあり、台風もアメリカ風に命名されていた。
因みにこの台風の少し前に両親に連れられて心斎橋筋に行き、そごうと大丸の付近で迷子になり、戎橋の横にある交番で保護され、持っていた迷子札から自宅が判明し、警察官進駐軍のジープで送ってくれたことから、近所で「進駐軍のジープで帰って来た子」として話題になっていたそうだ。
きょう月曜日は楽しみにしているBSの番組「フォレスタ」があったが、私の中学生時代にヒットした「森山加代子さん」「弘田三枝子さん」「田代みどりさん」などの曲を聞きながら、当時の白黒テレビの画面を思い出していた。
「コーヒー・ルンバ」や「黄色いサクランボ」「月影のナポリ」「ダイアナ」も登場して懐かしかったが、来月の「フォレスタ」のコンサートが行けなくなって寂しい限り。番組の中のテロップで来年1月にフェスティバル・ホールでコンサートが行われることを知り、チケット入手を考えている。
今日の写真は広島のピピの社長のブログから拝借。過日に行った尾道駅近くにある「映画資料館」玄関にある映画のカメラを。広島カープが昨年に続いてセリーグの優勝を決めたが、中継映像で甲子園球場へ赤い装束で訪れた人達が尾道からやって来ましたと言っていたが、広島には「オタフクソース」や「カープソース」が存在している。