2018-02-16

大病を患う前  NO 8121

瀬戸内の海NHKで西郷隆盛を採り上げたドラマが放送されているが、全国で維新に関するブームになっているようだ。

京都の霊山に維新の志士達の墓があり、過去に参拝に行ったことがあるが、杖を手に急な坂道を上がったので大変だったことを憶えている。

すぐ近くに「霊前歴史館」が存在し、維新に関する歴史に関する資料が展示されていて意義深く感じたが、この「霊前歴史館」で今開催されているのが西郷隆盛に関するイベントで、何とか言ってみたいと考えている。

この歴史館を運営しているのは「公益財団法人」の「顕彰会」だが、理事長の名前を看て思い出したのが松下電器産業からパナソニックに社名が変更された時代だった。当時の社長を務めていた人物が理事長に就任されていることを知った。

この社長の大改革は歴史の残る英断として知られているが、その社長の命でプロジェクトチームの重職にあったのが私の同級生で、その後は三洋電機の常勤監査役も歴任していた。

ずっと年賀状の交流があったが、私が大病を患って返信が出来ないので申し訳ない思い。元気に余生を過ごしているのだろうかと気に掛かっている。

今日は友人とお気に入りのパスタを食べに天王寺駅まで行って来た。駅の構内の中2階に「にんにくや」という知られるパスタ専門店があるが、ここのカボチャのスープが絶品で、食べる度によくぞ味覚を失わなかってよかったと思っている。

大病の後遺症から随分と嚥下障害に苦しんだが、今では問題なく食べられるし、左半身の温覚と痛覚の障害はどうにもならないが、杖を手に何とか移動が出来る生活に手を合わせている。

ここからは「幸せ列車」の「10年前の独り言」から転載を。

内科から耳鼻科へ  NO 2122   2008-02-15

2月13日、目覚めたら微熱があって咽喉にも痛みが。これは不味いと真向かいの医院に飛び込み点滴を受け、5日分の薬を頂戴して服用した。

すぐに着替えて式場に行き、久し振りにお会いしたご住職の導師で進行の担当。式中に舞っていた粉雪も閉式時には止んでおり、静かなご出棺となった。

熱の影響か食欲がなく、食後の薬という問題から無理に食したのが玉子サンド。すぐにコタツで横になって休んでいた。

「出発します」と同行するスタッフから電話があったのは4時半頃、迎えの車の後部座席でシートヒーターの温度を上げて眠ろうと思っていたが、タバコの煙と、ぶっ飛ばす揺れで眠れる状態ではなかった。

やがて目的地である神戸のホテルに到着。主催者である社長と挨拶を交わし、プロ野球の投手コーチとして有名な佐藤氏の講演を拝聴した。

続いては豪勢な宴席、100名を越す多勢の人達が円テーブルを囲んでいる。主催者挨拶があり、そのまま乾杯ということで指名をされた。

喋り出すと会場がシーンとなった。普通なら発言しないような話題を少しだけ披露、そこから結びに進んで起立となって乾杯発声。

席に戻ると臨席の女性から「何のお仕事を?」と質問が。公詢社さんと同業ですと答えたら納得されたよう。

会食が始まってからしばらくした頃、「あのう、ご名刺を」と、如何にも恐縮という雰囲気で若い人物が来られ、立ち上がって名刺交換をしたら「乾杯発声のスピーチに感動しました」とのことだった。

 名刺を見ると姫路の生花会社の方だったが、また何処かで再会するような気がした。

喉の痛みからアルコールは飲まず、ウーロン茶で屋台の蕎麦と御寿司をいただいたが、徐々に熱っぽく感じ始め、帰路の車内は完全にダウン状態になっていた。

今朝、目が覚めたら咽喉の調子が最悪。水を飲むのにも痛みがひどく、過去に一週間入院した時と同じ症状のような気がしてならず、迎えに来てもらって何回かお世話になったことのある耳鼻科に行った。

いつも1時間以上待たされるほど患者が多いのだが、今日は珍しく10分ほどで診察室入り。パソコンの過去のカルテから「昨年の4月と同じ症状です」とのこと。内科の薬を止め、耳鼻科系の薬を処方されて帰ってきた。

夕食時にもひどい痛みを感じていたが、日付が変わってから銭湯に行き、スチームバスの中で10分ほど過ごしたら少しだけ和らいだようで、無性にアイスクリームが食べたくなり、脱衣所に設置してある専用冷蔵庫から1本取り出して口にしたら、何か幸せな味がした。

今、眠る前に服用する薬を飲んだが、明日の目覚め時に熱が下がって痛みが和らいでいるようにと願っている。

今日の写真は広島のピピの社長のブログから拝借。「瀬戸内の海」を。
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