2012-01-31

「幸せ列車」のこと  NO 2827"


 これまでにこの「独り言」の中で何度か紹介してきた「幸せ列車」のホームページだが、来る2月3日から創刊配信されるメールマガジンは、登録のページを開かれた方にはお分かりだろうが、執筆者は愚生である。

 管理人の方から依頼を受け、過去に別の世界のコラムに書いた一部を提供したという経緯があり、それは「独り言」とは異なる内容となっている。

 もしもご興味があれば、「幸せ列車」をご確認のうえ、ご登録くださいますよう願い上げますが、そう言う私自身も先ほど登録してきたばかり。自動的にメール返信で仮登録されるシステムにびっくり。ITの世界のプロらしい仕掛けに感心した。

 冷え込む日々が続いている。本館も西館もお待ち願う状況になったりで申し訳なく心苦しいところだが、お寺様や地域会館などの葬儀を担当することもあるので大変である。

 最近のお客様は、参列される方々の存在を重視される傾向にあり、全員が入って着席出来るような空間を求められ、弊社のような式場をご利用くださることが増えているが、暑い時期と寒い時期はそれらが顕著に出て来ているようだ。

 あるお寺様から、ご本尊のあるご本堂でのお通夜と葬儀の意義について教えていただいたこともあったが、ご本堂の外で待っている人達のことを考えると、暑い寒いへの考慮も必要で、説教や法話の時間がどうしても短くなってしまうと仰っていた。

 そのお寺様が弊社の本館のお通夜に来られ、「お久し振りです」とご挨拶を申し上げたら、「全員、着席出来るなら、久し振りに熱く説教をやろうかな」と、ニコッとされたことがあった。

  全天候型の空間とは、そんなメリットもあるということにもなるだろうが、このお寺様のように充実された法話の内容や、説得力の高いトーク技術があれば大歓 迎だが、そうでないケースでは参列者がはっきりとブーイングを表明されることもあるので恐ろしく、それはある意味「デ・メリット」となろうが、そんな方 は、ご本人のお寺のご本堂で行われるお通夜にあっても、どんな時期でも延々とお話をされるようでもある。

 導師の法話や説教は静聴しなければならないという常識があるが、世の中は確実に変化しつつあり、「まだやるの?」「いつ終わるの?」という参列者の無言の抵抗感が行動として表面化した出来事を何度か体験したことがあるので困ってしまう。

 法話中に席を立って出て行かれた人の姿も見たし、携帯電話が掛かって来たような仕草で飛び出された人も存在したが、あからさまに床を踏みつける誰かの靴の音が徐々に広まって行った際には心臓が早鐘の如く打ち出したものである。

 どんなに内容のある素晴らしいお話でも、説得力を欠いておれば苦痛を与えて納得に至らないのは悲しいことだが現実で、お寺様に対して「KY」という言葉で抗議された事件が他府県であったことを聞いている。

昔、ある宗派の教師研修会が九州で開催された際、講師として招かれたことがあった。教師とは学校の先生ではなく、説教の資格を持される宗教者のことだが、講演を終えた後の謝辞で、主催者側代表のお言葉の中に次のようなことがあったので嬉しくなった思い出がある。

「今日の講師のお話には、我々宗教者として多くの衝撃を与えられました。一方で、納得に至らせる説得力という観点で、多くの人に説教をする我々は、本日の講師の話術という技術を学ぶべきというのが率直に感じた思いでもあります」

 僭越で釈迦に説法みたいに失礼極まりないことを書いたが、我々凡人の心を開かせるには、やはり宗教者と言えども、「構成力」「アナウンス力」「活舌力」「伝達力」なども重要となって来るように思えてならないこの頃である。

  ある若い住職が、お通夜の法話を行っていた。それが終わって控え室に入られたことを確認してご挨拶に。そこで「説教を勉強しなさい」とアドバイスをした ら、えらく感謝されたことがあったが、それから数年後、その方の法話は見違えるように素晴らしく成長され、拝聴される側は誰一人として動こうとされない雰 囲気さえ生まれている。

 多くの方々の法話や説教を拝聴して来た歴史があるが、問題としてアドバイス申し上げたいことは「マイク」の使い方が拙いケースが多いという事実。その活用方法で全く異なる環境空間が生まれることをご理解願いたいものである。
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