2002-09-20

彼岸の出逢い   NO 201

昔、私が仕事で懇意にしていたおばさんがいた。彼女は結婚してから間もなく子供が産まれ、それからすぐにご主人が失踪してしまうという悲しい過去を引きずってきていた。

 幼子を育てるためにご苦労をされ、やがて、子供も成人されることになり、縁あって葬祭業の接待関係の仕事に従事したのである。

 ご主人が失踪された時、彼女が縫われたお気に入りの浴衣で「ちょっと出掛けてくるよ」と言って出掛けられたまま、それから全く音信普通であったそうで、数日後に捜索願いも出されたそうだ。

 葬儀の現場での仕事振りは中々のもので、人への接し方が重宝され、多くのスタッフ達にも一目置かれる存在になっていた。

 そんな彼女が、お彼岸に、大阪の四天王寺にお参りに行かれた時の事だ。四天王寺には多くの参詣者が来られることから、大阪府警が仮設テントを設け、身元不明人に関する相談所を開設していた、

 いつもそこに入ることはなかったが、その日は虫の知らせのような気がして、何か不思議な思いを抱きながらテント内に入ったそうだ。

 セッティングされた机の上には何十冊もの資料が置かれ、数万人という身元不明者として扱われた方々の写真資料が閲覧出来るようになっていた。

 自分のご主人が失踪された年度の1冊を手に、やがてページを捲っていくことになったが、その大半が死亡されている現場の写真であり、想像以上にリアルな物である。

 数ページを開いていった時、目に飛び込んできた着物の柄に見覚えがあった。それは、まさしく自分が縫い上げた浴衣であり、失踪の日に身に付けていたものである。

「これは?」 そんな彼女の問いに、警察官が関係資料を元に説明を始めた。死亡されていた日は出掛けた日の夜。死亡場所は家から数キロ離れたところ。警察が聞き込みをしても、浴衣しか身に付けておられず、やがて検視のうえ、行路病者として火葬をされてしまったそうだ。 

  検死の書類によると心筋梗塞。持病の急変と推測されることになった。もしも運転免許を取得されておられ、違反で検挙されていたことがあれば指紋照合でつな がったかも知れないが、残念にもそれがなかった。街を出歩く時、自身が誰であるかを照明する何かを身に付けておくことも重要なこと。

 失踪から20年の月日が流れていた。成人された息子さんが喪主となり、葬儀が行われることになった。

 ご遺影はお若い頃のもの。近所の方々も誰が亡くなられたのか分からず、事情を伺って「気の毒だ」というお言葉を掛けていた。

  彼女は、妻として立派な葬儀をつとめられたが、以外にさばさばとされているような雰囲気が感じられた。「私の人生の区切りがついたの。母と子で葬儀が出せ たもの。四天王寺さんの巡り合わせに感謝をしているの」と、挨拶をされたが、その彼女が数年前に亡くなられたとことを風の便りで知った。

 お浄土で再会を果たされ、懐かしく昔話に花を咲かせているような気がしている。

   ※・・明日から5日間シリーズで、短編小説を書き込んでみます。
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