2002-06-15

今日の欲望   NO 106

昔、知り合いのおばさん達が10数人集まり、あるお寺へお参りに行く計画が練られていたことがあった。

 <信仰心厚く、殊勝なことだ>と思いながら詳しく聞いていると、そのお寺は「ぽっくりさん」の愛称で呼ばれ、身内や他人に迷惑を及ぼさずに臨終を迎えるという、「ぽっくり死」を祈願に行くという計画だった。

 そんなお寺の存在が少なくなく、このような信仰の行為がある事実に興味を持っていたが、それらに行動される方々の大半が、女性であることも知った。

 ある時、近所で80歳の女性が亡くなられた。その方は、前日の遅くにご入浴。その後、「おやすみなさい」と2階に上がられたのが最期のお言葉。起床されて来ないので起こしに行ったら安らかに旅立っておられたそうだ。

近所の方々は「何と楽な往生だ」「自分で湯灌をされた」と話題にされたが、ご遺族の方々には「検死」から法的な「解剖」という衝撃的な死となってしまった。

臨終時の会話、それは「決別の情」として絶対にあって欲しいし、本人、家族の両者に「死の覚悟」の状況が生まれることは望ましいことだろう。

 この世に生を享け、両親に育まれ、学業を終え社会人となり、「えにし」に結ばれて結婚。やがて子供の誕生。そして自身が歩んだ道を子供達が進む繰り返し。

 子供が大学を出るまでは。結婚するまでは。孫が誕生するまでは。孫が結婚するまでは。曾孫が誕生するまでは。

 そんな夢を抱いて生きて行く。この願いは「欲望」と言われるかも知れないが、人間に許されることであろう。

「もう、思い残すことはない。やるべきことはすべてやった。お前達も立派に育った。私は人として生まれ、人に役立つことをすることも出来た。堂々と安心して来世に旅立つ」

 ナレーションの取材時に、そんな最期のお言葉をご遺族から伺ったこともあるが、こんな言葉を遺すことの出来る人が、一体、どれだけおられるだろうか。

 ナレーションの取材を担当する際、必ず「ご最期のお言葉」をお聞かせいただくが、男性の場合、「お母さんを頼むよ」というケースが多いのが特徴。

一方で女性の場合、「お父さんのことだけが気掛かりね」というのが多いが、妻に先立たれた男性のその後は弱くて惨め。母と呼ばれる女性は強いということを、いつも学ぶところとなる。

 今、私の一人だけの孫が、娘と共に自宅に里帰りしている。深夜に高熱を出し、朝から医師の診断を受け、「夏風邪」ということでほっとしたが、結婚という時期までとは言わない。せめて小学校の入学式を見届けるまでは「頑張らなければ」との欲望を抱いている。

 「生かされている」ことが終わる日の訪れ、それはいつか解らないが、この世に生まれた宿命として、その日も定められている筈だ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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