2002-12-28

年の瀬に    NO 297

この数日、急に冷え込み、コートとマフラーが手放せない。

 私は、コートが大嫌い。それは、何処かに寄った時、帰りによく忘れるからである。

今春初めの東京出張の帰路、次の日の会議に熱海駅で「こだま」から降車した時、階段を降りながら「寒い」と気付き、コートとマフラーを車内の網棚に忘れてしまったことがあった。

 駅員さんの配慮で、帰阪の際、名古屋駅に立ち寄り受け取ることになったが、日常の行動の中に「心の隙間がいつでも生まれる」ということを知らされた苦い経験であった。

 雪のシーズンになると新幹線に影響が出る。ある時、横浜から京都まで真っ白。最終の「のぞみ」で新大阪に到着したのが午前1時前ということもあった。

 昨夕、東京のメンバーが来社されたが、雪の影響で少し遅れたそうだ。

 夕刊に目を通していると、「新幹線、雪のため、岐阜羽島から京都間で、220キロ~170キロの徐行運転で遅れ」という記事が目に留まった。

 「徐行」とはすぐに止まれる速度という意味であり、170キロや220キロというなら「減速運転」とするべきで、新聞でも不思議な表記をすることがあると知った。

 人の悲しみに携わる仕事の従事していると、「死」や「宗教」や「悲しみ」の文字に目が留まる。

 毎日、悲しい記事に出会っているが、「覚悟の自殺」という文字表記や、ニュースを伝えるアナウンサーのこの言葉が気になって仕方がない。

 自殺と覚悟が重ね言葉。死の覚悟の結果が自殺であり、単に自殺との表現でよい筈。
プロであるマスメディアの世界で使用されるべきではないだろう。

 我々葬儀の司会者にあっても、「引き続き」「重ね重ね」「また」「ふたたび」「繰り返し」「まだまだ」「たびたび」「今一度」「皆々様」などの禁句が山ほどあるが、日常に使用している言葉を、つい口滑らせてしまう危険性がある。

葬儀の司会者がよく使っている言葉に「皆様方」というものがある。これも大学の国文学教授の説によるとおかしなことで、プロが使用するべきではないとのご指摘。

今、日本語が乱れていると言われている。司会者として最も恐れていることは、「素人さんからのご指摘」。いつもそれだけに神経を遣いながらマイクの前に立っている。

葬儀にあってミスは許されない。「亡き母が悲しんでいると思います」なんてクレームが発生すれば取り返しが付かず、後悔では済まされない致命的な羞恥の世界。

司会者が、世の中の最高のサービス業と認識される道への基本であろう。

 今年も多くの方々のご終焉儀式を担当させていただいた。多くの反省はあったが、幸いにして後悔するミスはなかった。
 
 今年は、おそらく100万人ぐらいの方が逝去されただろう。その方々に合掌申し上げ、大切な方を亡くされたご遺族の皆様に、新年が癒される年となりますよう祈念申し上げます。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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