2002-12-27
別れのプロ NO 296
ある学生団体での講演が終わり、質疑応答の時間を迎えた時、面白い発言があった。
これからの時代の葬儀についてや、「悲嘆の心理」「命の尊さ」を熱く語ったのだが、1人の学生さんが「別れのプロですね」と言ってくれたのだ。
私が、咄嗟に「離婚のプロと誤解しないでください」と返すと、会場が爆笑に包まれた。
今、日本トータライフ協会の若手達にも、この「別れのプロ」や「悲しみのプロ」という言葉表現が流行しているので興味深い。
葬祭哲学の第一人者である当協会の杉田副理事長は、「葬儀社であるべき前に、葬儀『者』」であれと説いてこられ、その認識に目覚めた若者達が上記の言葉を誕生させたプロセスがある。
「命って、何ですか?」「葬儀って、何で行うのですか?」「必要なのですか?」
そんな素朴な質問を多く頂戴しているが、これらの回答は、当協会のHPをご笑覧くだされば一目瞭然にご理解いただけるものと確信している。
質問の中に、「葬祭業って、難しい仕事なのですね?」「奥が深いことを初めて知りました」「葬儀社もサービス業なんだ」というのも登場したが。そんな言葉を耳にした時、今回の講演の意義が伝わったように思え、横目で見た主催者の表情が微笑んでいる光景が嬉しかった。
過日、北海道のメンバーが発信しているコラム「めもりある・トピックス」に、読まれた若い人からメールが入っていたという記述があり、そのことをコラムにしたためてあったが、そのメールの中で次の文章に考えさせられた。
『今回のトピックスのテーマは、自分でもかなり共感できる話だったのでメールしました。親父の死期を悟ってからは、家族の結びつきも強くなったような気がするし、母親の苦労も理解できたし、無口だった親父とも素直に向き合えるようになった。
それらは貴重な時間であって、いい別れが出来たとなと漠然と思っていました。
でも、今回のコラムを読んで、改めて「いい別れ」とはどういうものなのかが理解でき、気持ちが整理できたような気がします。
~ 中略 ~
別れのプロである葬儀社の方々のアドバイスを生きているうちに受けられれば、先立つ方、残される方それぞれに意識のもち方も変わってくるように思います。
生きているうちに別れに付いて考えることの重要性をもっと多くの方々に知っていただくことは、葬儀社にしか出来ないことなのかも知れません。
生きているうちは医者、死んだら葬儀社と言う単純な区分けで考えることが普通のように思われていますが、その間を埋めていけるような活動が重要になってきますね。
しいては、それが会社の信頼につながっていく道のような気がします。
大変な仕事でとても忙しいと思いますが、がんばってください』
如何でしょうか? この方も若い人。お父さんを送られたご体験から感じられた正直な思いが伝わってきます。
「死は、自然の出来事。人生の一部である」
そんな思いを抱かれ、「生かされている」との悟りの心情が生まれた時、その人の残された人生は大きく変わる筈であろう。