2012-06-08

雨天  NO 2950


 最近の天気予報は精度が高い。気象衛星の存在からだろうが、今日の午後から雨の予報があったので、遠方へ行く予定だったことを変更した。

 今日「金曜日」は「幸せ列車」のメールマガジン発信日。今日の号のタイトルは「掛け声」で、お酒をこよなく愛された故人の葬儀で、お別れ時に仲間の人達が「献杯」ではなく「乾杯」とやってしまった出来事が書かれている。

 それは、誰一人として不謹慎と思わなかったほど故人が酒好きであった事情があったが、医師から「命を取るか、それとも酒を取るか」と聞かれて瞬時に「酒」と返したエピソードもあった。

悔いのない人生でありたいと願う人が多いが、好きなことに没頭出来る人生とは結構なこと。出来たら臨終前まで人の世話にならなかったら有り難いが、いつどこでにわか病が訪れるかは分からず、日頃から身辺整理を考えておく必要もあるだろう。

 さて、乱れた社会の現実に憂い、随分前にしたためたことを再度触れておくことにする。

 昔、儒教に関する講義を受講していた時、印象に残っている言葉があった。それは「医は仁術」という「仁」の語源が「忍」であること。そして「親孝行」の「孝」の語源が「養」ということだった。

 先祖を敬うという「礼節」を重んずる「家」と「国」の倫理的な教え、それが儒教の根源にあるように思えるが、今や我が国の「儒教精神」の希薄化が急激の一途、国を司る議員すら「とんでもない」ことをやっている。

 中国古典に「論語」「孟子」「大学」「中庸」という「四書」があるが、「礼」「儀」「仁」や「信」「智」を説く偉大な歴史の存在を、今こそ再認識しなければならない「世」のような感じがする。

 一方に一連のオウム事件で特別手配されている容疑者の捜索が続いているし、また一方のニュースに「幸福の科学」の映画の興行収入がベスト10に入ったとあった。両者を一緒にするつもりは一切ないが、過去に「幸福の科学」の映画を観たことがある。

 友人に古くからの信者がいる。いつも他人のために寄進して祈っているのだから「利他」という信仰の行動をしている。そんな人物のブログを訪問したら、その映画で泣けて仕方なかったと綴られ、帰路から自宅に戻っても涙が止まらなかったそうである。

 涙の成分は真っ赤な血液だと教えられたことがある。それが透明なって目から流れ出るまでのプロセスが凄いそうで、それによって心身を擁護してくれているのである。

  悲嘆に陥られるご遺族の存在、お通夜や葬儀で涙を流される光景を何千回と目にしたが、『涙は悲しい時にだけ流れ出るものではありません。涙は、感情が極 まった時に生まれるもの。人が生きている。生きなければならない証と輝きでもあるのです』という司会のフレーズを思い出してしまう。

 明日も朝から雨の予報。雨が世の寂しくて悲しい現実を憂う涙のような気がしてならないこの頃である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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