2002-04-16

ホテルさん、何を考えているのですか!!

もうすぐ2才の誕生日を迎えるという、可愛いざかりの赤ちゃんが、俄かに訪れた病魔に侵され、息を引き取った。

ご家族と主だったご親戚で執り行われた葬儀、私達にとって、もっともプレゼントしてあげたいことは、お悲しみになられる「環境空間」と「時間」である。

旦那寺様を迎えての葬儀式を終えても、ご出棺の時間は、お若いご夫婦の自由と考慮したが、参列の皆様は、誰一人としてクレームをおっしゃることはなかった。
 
悲嘆に陥られたご夫婦、その姿に誰も声を掛けることは出来ない。時間だけが流れてゆく。
 
おもちゃをいっぱい入れられた可愛い柄のお柩が、一層、涙を誘う。
 
やがて、夕刻を迎えてご出棺となったが、火葬場までご一緒した私の車の中は、ただ沈黙。火葬場で納められる時の光景が目に浮かぶ。
 
神様、仏様、「命って、何ですか?」と、問い掛けたくなる雰囲気の中で扉が閉められた。
 もう、あの可愛い赤ちゃんはこの世にはいない。お母さんが抱かれる遺影を見ることは出来なかった。
 
火葬場の帰路の車中、知る限りの悲しい体験、出来事を話させていただいた。こんな時に励ましは禁物。共に悲しむことが大切である。
 
葬儀社は、ご遺族の悲嘆の心理に発生している「思慕」という部分に、大きく影響する立場にあることをご理解いただきたいものだ。あの子を、あの人を送った時の「人」。あの子、あの人が亡くなったことを知っている「存在」ということになるのである。

悲しい葬儀を終えてから、2週間ぐらいした頃、ご夫婦が来社された。

少しは落ち着かれた様子だが、葬儀の時の話題になると涙を流される。

そんな中で、プロとして驚愕する事実が進められていることを聞かされることになった。

満中陰の日に、赤ちゃんを「偲ぶ会」を開催されると言われ、すでにあるホテルに相談をされ、予約まで済まされたと言うのである。

「偲ぶ会」の案内状の文章創作、それが私に託された願いであったが、このままでは「ダメです」と、はっきりと言い切るアドバイスを行なうことにした。

 ご両親のお話からすると、主催はご本人であり、そんなおかしな「会」はされるべきでないことを伝えた。

  ご出席をされる方々の予定は、ご親戚、ご友人を含めて約100人とのこと。お爺ちゃん、お婆ちゃんも賛同されておられ、このままでは、ご当家が笑われてし まうことが確実で、何とかしなければならないとの思いから、説教的になってしまったが、かなり強い言葉で変更されることを提案していった。

 最もおかしなことは「主催者」であり、大義名分が全く立たないという事実にお気付きになるだろう。しかし、ホテル側は「おっしゃる通りに」と受けてしまったらしく、ホテルの一番「悪い」部分が出たことに怒りの思いを抱いた。
 
2歳の赤ちゃんを「偲ぶ会」、そんな言葉表現がおかしいと気付かないホテルは「失格」であると断言する、いや、「断罪に処する」レベルのミスである。
 
こんな場合、若夫婦が主催することは「とんでもない」ことで、本来は、友人達が発起人となって開催されるべきことである。そして、もうひとつ、主催をお爺ちゃんにすることも可能であると提案をした。

<孫を亡くして私も悲しいのですが、息子夫婦を見ていると痛たまれず、皆さんに何とか支えていただきたい、そして共に悲しんでいただきたい、励ましていただきたい>
 
そんな大義名分をコンセプトに、と申し上げたが、急に納得をされたようで、「改めてアドバイスを」とお帰りになられた。
 
それから1時間もしない内に再来され、お爺ちゃんが偉く納得をされ、その形式で進めることになり、案内文章を創作することにした。
 
「ホテルを変更したい」という怒りのお言葉があり、私の関係するホテルへと懇願されたが、残念なことだが、その日は何処のホテルも予約で塞がり、お応えすることは出来なく、大変に申し訳なく思っています。
 
「当 日は、赤ちゃんが好きだったもの、そのお食事をお母さんが作ってあげなさい。器もあなた達で決めなさい。ホテルの器ではだめですよ。飾られたご遺影の前に 供えてあげましょうよ。おもちゃをご持参されてもいいですよ。お写真も遺影だけではなく、思い出のものをいっぱい持参され、飾ってあげましょう」

 「偲ぶ会」の表記は「励ます思い出の会」と変更されたそうだ。

 後日、丁寧なお礼の電話があったが、私の仕事の悲しい思い出として心に残っている。
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