2002-06-13
親の葬儀から 前 編 NO 104
これまでにも記したことがあるが、日本の葬儀は「儒教」の上に成り立って来たという社会背景。今日は、僭越ですが、そんなことに関することをしたためます。
人間の生老病死という「四苦」の悟りに生まれた仏教は、中国の大きな影響を受け日本に伝来したが、この間に「死の脅威」の超越という方向にグローバル化された背景に、儒教的な思想が加味されてきたと言われています。
ある大学教授の講義で、孔子を中心とする「儒家」の人々の生業のひとつが「葬祭業」であると拝聴し、私達の大先輩なんだと驚いたことがありました。
殷・周・秦・漢という永い中国の歴史で、周の時代に「先王の道の教え」という「道教」の誕生もあり、佛教との迎合の中に「孝」「徳」「仁」「礼」という思想が溶け合ってきたように思えるし、現代の「先祖供養」型の葬儀の「ありかた」に頷けるところなのです。
10年ほど前、ある葬儀で印象に残っていることがありました。その葬儀は、20代から30代の4人の子供達が、母親の葬儀の打ち合わせ時に見せられた言動で、在日の韓国人の方々らしい感動があったのです。
「葬 儀屋さん、当家は貧しいのです。でも、父が早くに亡くなってから、母が立派に私達を育ててくれました。今しか恩返しが出来ないのです。我々兄弟4人であち こちから借金をしてきました。ここにこれだけあります。足らなかったら、みんなで駆けずり回ってお金を借りて来ます。どうか、母が喜ぶ立派な葬儀をお願い します」
机の上に置かれた浄財的なお金は、100万円ぐらいはあっただろう。私は4人の子供達の真剣な顔つき、そして平身低頭される姿に恐縮し、思わず仕事の立場から離れてしまうことになってしまった。
「もう、立派なお葬式が出来上がっているではありませんか。皆さんの今のお言葉とお仕種です。それがお母さんへの最高のプレゼントではないでしょうか」
お母様は、素晴らしい教育をされて来られたようだ。導師をおつとめいただいたお寺様も、あたたかいお母さんへの感謝の思いと、礼節感あふれる接し方に感動され、「お母さんが喜んでいますよ」というお言葉を、お説教の中でおっしゃられたことも嬉しかった。
飲食費、御布施、弊社関係などを含めて、葬儀の総費用は86万円。弔問、会葬に来られた方々とご遺族の会話が耳に入ったが、「お金は、足りるのか?」と、ご心配されている方が多く、立派な子供たちを見事に育て上げられたお母様に合掌申し上げた。
一方に、日本人の方で、お父様を亡くされてから8年後にお母様をお送りされるという葬儀で、40代、50代の3人のご兄弟達が、打ち合わせ時に、親戚のおじさんにこっぴどく説教をされたという出来事があった。
葬儀の日程や形式が概ね決定され、予算の決定段階に入った時のことだった。喪主をつとめられる方が、次の様なことをおっしゃられたことが始まりだった。
「確か、オヤジの時の祭壇は、70万円だったと記憶している。皆も覚えているだろう」
ここから現実的な会話が交わされることになる訳ですが、顛末は、明日に続きます。