2002-06-12

たった、ひとり   番外編   NO 103

 お母さんの遺志の尊重、娘さんの貯金の範囲内での葬儀。このキーワードは何とかクリアすることが出来たし、この上ない悲しい葬儀の中で、丸一日の2人の時間プレゼント、それは、おばさんと私の信頼によって生まれたものである。

 お母さんは、ご近所の葬儀にはいつもお手伝いをされ、お香典を包んでおられたそうで、続いては、お香典を受けるか辞退するかという論議に入った。

「香典返しが大変よ。**ちゃんが苦労されるし、私は辞退する方がよいと思うの」

 絶対にお受けするべき、それが私の考えであった。香典返しの大変な作業は理解できるが、今回は、そこに重大な意味があることを知って欲しいとの思いから、おばさんに対して、熱い説得を試みることにした。

 「香典は、お母さんにお供えされるためにご持参される意味もありますが、それぞれの方が、自身の悲しさをお香典という行為に託されてくるものです。これだけの悲しいご不幸に、その思いを辞退されてしまうことは絶対にいけないことだと思うのです」

 「・・・・・」

  「それから、葬儀を終えられてからのことをお考えください。本当の悲しみは、葬儀が終わってから押し寄せてきます。その時にやらなければならない作業工 程、それがお母さんに何らかのつながりがある方々への礼節と考えれば、これからのお嬢さんの<けじめ>としても重要ではないでしょうか」

 「**ちゃん、お受けすることにしましょう。さすがにプロの意見で納得できるわ。ひょっとして、私達の知らない人達からも届けられるかも知れないし、お母さんが、どんな方々と、どんなおつながりがあったかを知ることも重要ね」

  ご供花に続いてお香典もお受けすることが決まった。悲嘆の強い時期に救いとなることは、やらなければならないという責務の存在や、日常的に決められたこと を遂行していく環境を整えることもある。そんな中で、大変な香典返しの作業は、初七日から満中陰までの供養と共に、大きなメリットの生まれる日本的な慣習 である。

 近所の方々へのシークレットから、ご納棺もお通夜の日の朝にした。ただ、ご遺体の処置だけは、目立たないような配慮でスタッフ達が明け方に訪問し、解決をした。

 不幸な親子と、あたたかいおばさん3人だけの仮通夜の日が過ぎた。次の日の朝、娘さんのお顔は、寝不足を感じる中にも、さわやかな表情を見せられるようになっていた。きっと、尽きるほど涙を流されたからだろう。

 嬉しいことに、ご供花は、会社、ご近所の他に、呉服屋さん、お医者さん、看護婦さんからも頂戴することになった。お陰で祭壇は立派な花祭壇として完成し、弔問者の大好評を博することになった。

 「司会は、絶対にあなたよ」「当然、私が担当します」
 
 そんなやり取りがされた時、私は喪主から葬儀社の立場に戻っていた。その時の「愛と命」の言葉を散りばめたオリジナルナレーション、それは、今の私の世界での原点となっている。

 結びに、そのおばさんも、今はこの世の人ではない。私が送らせていただいた。また、その後、娘さんはご結婚され、3人の子供さんがおられることを風の便りで知った。
 血縁が生まれた。どうぞ、お幸せに。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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