2012-03-04

借りのないように  NO 2861


 昨日に行った大阪城、思わぬ人物と再会することになったのでびっくりしたが、その後に何度も見たことのある「巨石」の前に佇み、信じられないような先人達の発想にただ圧倒されるばかりだった。

 公園内のある豊国神社の近くを通ると、寿マークの入ったハイヤーが通過。中に白無垢の花嫁さんの姿があり、桃の節句の日の挙式に幸せを祈った。

 境内に入ると、立派な豊臣秀吉公の銅像がある。文化勲章を受章された人物の作だそうだが、裏側に刻まれた寄贈者のお名前にびっくり、過去に私がプロデュースと司会を担当した「偲ぶ会」の方だったからだ。

 冒頭に書いた思わぬ人物との再会もそうだが、世間とは本当に狭いもの。どこでどうなるか分からないので「借り」だけはないようにしたいものである。

 大阪城内にある広い梅林の開花情報は、指定された二本の梅の木の状況で出されるそうだが、それによると今年は随分と遅れているようだった。

 昨日のこと、会社から電話があり、お二人の女性が私を訪ねて西館に来られたそうで、西館にいたスタッフが自宅まで案内して来てくれた。

 来られたのは12年前にご主人の葬儀を担当したご伴侶と娘さん。海軍の軍人として奉職されていた歴史があり、「海ゆかば」のレクイエム演奏や戦友の皆さんの「同期の桜」のご唱和もあり、厳粛で印象に残った葬儀だった。

「あれから12年も経ったの。あなたに素晴らしいお葬式をして貰ってずっと感謝しているの」と手を握られ感謝のお言葉に恐縮したが、もしも自宅を留守にしていたらと思う出来事でもあった。

  過去に悲嘆の心情の分析について何度か書いたが、その中に存在する「思慕感」というものが大きく関係し、悲しみの光景をご仏縁の時から共有することになっ た我々葬儀社は、その目撃者という立場になり、非日常的な悲嘆から少しずつ立ち直られる過程にあって、その片隅の立場にあるとも分析され、このお二人の ケースにもこれらが顕著というケースで、葬儀が終わってから事務所で何度かお話を伺ったことが懐かしかった。

 大阪は、午後から冷たい雨が降り始め、明日は嵐のような天気予報。所用があって出掛けようと思っているが、杖と傘を手にするのは大変なので困ってしまうので、なるべく風が吹かないようにと願っている。

日課となっている「幸せ列車」のコラムを訪問したら、「かめかむかさん」の投稿で70代で五輪出場候補となられた乗馬の「法華津」さんのことに触れられていた。

た だ生きている、ただ生かされているのではなく、目標という世界があって邁進されるといつまでも元気ということのような気がする。そこには「食べたい」「会 いたい」「行ってみたい」というような「たい」という欲望が重要なようで、それがなくなれば「さようなら」となるようだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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