最新 最古
2004-12-30

プロの美談  NO 1021


 今年を振り返ってみると反省多き一年だった。多くの方々から多大な善意を頂戴し「借り」を作ってしまい、来年はそのお返しをいっぱいしなければならないと心する。

 一方で素晴らしい人との出会いも多くあった。これは私のこれからの人生にあって何よりの財産が増えたことになるが、相手さんが「知り会った」ではなく「知り遭った」と思っていないことを願っている。

 今年は「無宗教形式」の葬儀が多かった。その大半がインターネットから結ばれたお客様と実際に参列体験をされた方々。「これが噂の『慈曲葬』!」というお言葉が嬉しい限り。来年は急展開しそうな潮流を感じている。

 正直言って「無宗教形式」は、この数年試行錯誤の繰り返しだった。偲ぶ会やお別れ会というホテル葬を中心に進めてきたが、社葬以外でこの形式を要望される方が意外と多いことを知り、前日となる「お通夜」の進行シナリオを構築することでオリジナルが完成した。

 この「無宗教形式」に対する取り組みは葬祭サービスの「ありかた」を根本的に変えてくれることにつながり、宗教者を迎えられる一般的な葬儀にも活用可能となり「前夜式」や「命の伝達式」というキーワードが具現化できた。

 過日に書いた孫の誕生の影響は半端じゃなく、司会トークそのものからマイクを握る「重み」にまで多大な変化を及ぼし、十数年前に提起していた「司会から司式への意識改革」が、この2、3年で究極の「葬道」であることを認識するに至った。

 私は「来る人拒まず」「去る人追わず」の性格、日本トータライフ協会のメンバー以外の来社も増えたが、葬祭業の文化向上に上述の認識は不可欠と考え、「隠れ家」の訪問者を歓迎する姿勢で臨み、「命の伝達式」の出来る葬儀社と司会者さんを増やしたいと願っている。

 葬儀の司会とは「技術」ではない。儀式空間に臨む姿勢こそにすべてが凝縮され、宗教観から悲嘆という悲しみの理解までを研鑽し、何度も書いたように「温故知新」の言葉の意味を学ぶべきだと考えている。

  他人の信念や哲学に触れる。その時、そこに至るまでのプロセスを学ばずして大成に至ることはない。セミナーの参加者の皆さんや「隠れ家」の訪問者に伝えた いこと、それは単なる「物真似」でスタートして欲しくないこと。まずは「心有りき」で臨む姿勢から、その背景に「礼節」という言葉の重みを感じられるだろ う。

 さて、夕方「隠れ家」に良きパートナーである音響のプロが来社、システムの再チェックから始まって奥深い「匠の技術」の教えを頂戴し、終わってから「今年の反省」と知人の割烹で2人だけの忘年会。そこで素晴らしい話を拝聴したので公開を。

 私も好きなベンチャーズの日本公演、その音響と照明を担当していた彼、本番でハプニングが発生した。奏者側用に設置してあったモニタースピーカーに異常が発生。それは奏者の不可思議な仕種と行動ですぐに理解されたそう。

 しかし途中ではどうにもならず、アンコールが終わってから平身低頭の謝罪に。そこでベンチャーズのメンバー達から次のように慰められたという。

 「君が謝る必要はない。これは機材の故障、アクシデントだよ」

 彼は、「ベンチャーズって、大人で本物のプロでした」と感慨深げに語ってくれた。
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