2002-05-12
西向く士(さむらい) NO 71
小学校の低学年の頃、30日までの月を「小の月」、31日まである月を「大の月」と教えられた思い出がある。
「2・4・6・9・11」の「小の月」を覚えるために生まれた語呂合わせが「西向く士(さむらい)」で、「士(さむらい)」とは、「十」と「一」の組み合わせとなっていた。
20年前に、愚著「葬儀屋・七万歩才のあの世の旅」を書いたが、その脚本の背景になったのがこの「西向く士」に関係することで、物語は、葬儀屋が突然に死の世界に迷い込み、あの世で閻魔大王をはじめとする「あの世の裁判官達」との会談を描いたもの。
中国の影響の強い経典に「十王経」というのがある。「十王」とは来世の裁判官。初七日から四十九日の満中陰、そして、100カ日、一周忌、三回忌を合わせて「十名」存在しているという教え。
これは、来世存在を素晴らしく表現し、この世での勧善懲悪を解り易く説かれたものである。
さて、今日のテーマは「1・3・5・7・8・10・12」という「大の月」のことを何と表すか、ということである。
答えは「いざ、五七夜(ごひちや)の十王」経と、うまく語呂合わせが成り立ち、その意味は上述の十王経につながってくる訳である。
「十二」は、「十」と「二」を合わせれば「王」という文字になります。
「西向く士」の「西」は、「西方浄土」という思想につながり、次のような教えを受けたことがあった。
<戦乱で身も心も疲れ果てた士(さむらい)が、ある時、自身の愚かさに気付くことになり、何れ自身が行くことになる西方浄土を思って帰依し、刀を捨てるということ>
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ご訪問、誠に有り難うございました。