2002-05-30
貴重な体験 番外編 NO 90
法廷内は、静寂そのもの。緊張の中、裁判長と私のやりとりする言葉だけが交わされる。
「では、その写真は、葬儀が行われる前に撮影されたことに間違いありませんか?」
「恐らく、そうと思いますが」
「<恐らく>とか、<思います>ということは、曖昧な証言となります。何か記憶していることとか、思い出すことはありませんか?」
そう言われても、多くの葬儀を担当している立場。それも数ヶ月も前の葬儀。集合写真の撮影が「始まる前」か「終了後」かと言われても、ハプニングなど特別な思い出がある場合を除き、断言することは不可能である。
ましてや、集合写真の撮影が「始まる前」というケースがほとんどで、「思います」と曖昧となってしまったのは、<もしも>という恐怖感があったのは事実である。
郵送物が来てから今日の日まで、このお客様の葬儀に関する情報をしっかりと把握してきたつもりだが、まさか写真撮影の時間が問われるとは思わず、この質問に対するはっきりとした答えを出す自信はなく、迷いの時間が少し流れる。
裁判長が意外な事実を発言されたのは、そんな時だった。
「被告人、弁護人によると、この葬儀の司会を担当されたのは証人だそうですが、間違いありませんか?」
「はい、間違いなく私が司会を担当いたしました」
そう断言するには確実な裏付けがあった。葬儀の式場となったお寺様は、宗教作法に厳しいお方で、私以外の者が司会を務めることが絶対にないからで、これについては自信いっぱいで、幾分に大きな声で返答した。
「司会を担当されたのに、写真撮影についての記憶が定かではない。司会は司会者。撮影は写真屋さんという分担業務になっているからですか?」
焼香順位や弔電のチェック、また、使用する音楽テープの頭出しなど、開式前の司会者の仕事は多く、写真撮影は写真担当ということは事実であり、その旨を伝えるが、頭の中では、その葬儀の流れを乏しい記憶の中で懸命に思い出そうという努力だけはしていた。
「葬儀が始まる前か、それとも終了後か。思い出すことは出来ませんか? どんなことでもよいのです。些細なことが事実につながることもあるのです。いかがですか?」
閉廷の時間も関係するのだろう。裁判長のお言葉には焦りが感じられる。
手にしていた写真をさりげなく見たのは、そんな時だった。目に衝撃的な事実が飛び込んできた。謎が解けたのである。
「裁判長に申し上げます。この写真が撮影されたのは間違いなく葬儀の終了時です」
法廷内がどよめき、そして、すぐにシーンとなる。
「その根拠となること、証拠となること。それは、どういうことですか」
「集合写真の背景の祭壇にある燭台で分かりました。使用後なのです」
燭台にある1対のローソク。その芯の先端が黒ずみ、それが使用後である事実をはっきりと物語っていたのである。
葬儀終了後の撮影という事実、それは、被告人のアリバイの成立ということなった。
その後のことは、皆様のご想像に託すことにさせていただきますが、「証人はお帰りいただいて結構です」のお言葉から廊下に出た時、担当官吏から手渡された書類のことだけをしたためます。
「これを、*階の会計窓口に提出してください。詳しくはお読みください」
内容は、交通費や日当の支払いが受けられるということで、出廷のために職場を離れることへの考慮もされていた。これも勉強、早速に会計窓口に参上し、タクシー代の請求は行なわず、電車と最寄り駅からのタクシーという、定められた最低の基本金額を捺印のうえ頂戴した。
確か、1437円だったと記憶しているが、すべてが未使用のお札、硬貨であったことだけは今でも鮮明に覚えている。