2002-05-22
演出と意義 NO 82
もう、20年以上も前になるだろうか、取引先社長のご子息の結婚式で、ある大手互助会さんの経営される式場に出席した。
この式場は奇抜なアイデアが有名で、大掛かりな仕掛けで列席者を驚かすことが多く、私も何が飛び出すか楽しみに期待しながら出席をした。
披露宴が進行され、やがてお色直しをされた新郎新婦が入場される時、ハード的な演出が行なわれた。
会場内が暗くなり、ピンスポットが向けられた方向にはゴンドラらしきものがあり、その中に入った新郎新婦が万雷の拍手の中で登場されてきた。
私は、ふと、両家のご両親の表情や、同じテーブルの方々のお顔を見たが、拍手をされている行動とは異なったイメージがあることに気付いた。
それは、敢えてここでは表記いたしませんが、ご体感された方々のお声には嘲笑される方も少なくなかったし、当事者である新郎新婦も羞恥心を抱き、友人達からの評判もよくなかったという声が多かったそうである。
演出には「意義」が重要である。誰もが納得をされる説得力のあるシナリオ構築、その説明をされる司会者のコメントでの「意義」のあるなしによって生死?が分かれる、そう言っても過言でないと考えている。
「流行は業者がつくる」という言葉があるが、本物でないもの、奇抜という部類に属するもの、それらは必ず淘汰される道を歩んでいくことは歴史が物語っている。
葬 儀の世界でも面白いことがあった。ある東京のテレビ局の取材で、将来の葬儀の変化を予測するというインタビューの録画を撮ったが、その時にリポーターの人 が、ある互助会さんが行なわれている幻想的な演出をすでに収録されており、それについてのコメントを求められてきたのである。
私はブライダルの批判はするが、同業である葬儀サービスにていての批判は避けたく、オフレコということでお話しだけをさせていただいた。
その幻想的な演出というのは、葬儀の式場でご出棺前に行われる「野辺送り型サービス」で、大きな台車の上にお柩が置かれ、照明が落とされ、スモーク演出の中をお寺様も同乗され、霊柩車の待つご出棺口に向かうというもの。
お寺様の中には強い抵抗感を示される方が多く、時にはお寺様なしでの進行も行なわれていた。
リポーターの話によると、このサービスが始められた頃の料金設定は5万円。高い、安いの評価はお客様がお決めになることだろうが、私は発想転換をすれば素晴らしいサービス提供であり、10万円以上付加価値を生むだろうと答えた。
幻想の空間演出、そのひと時が行なわれた外には明るい日差しがあり、霊柩車が待っている。現実の世界に戻されてしまうからである。
この幻想空間演出が、もし、火葬場で出来たなら最高のサービスということになるだろう。決別の情を断つ極限の悲しみの場である火葬場、そこでスモーク演出された中にお柩が進んで行かれる。それだったら癒しや救いが生まれる意義ある演出となる筈。
そんな意見に、リポーターが頷いていた姿が懐かしいこの頃である。