2003-02-14

深夜の電話    NO 344

久し振りの自宅での遅めの夕食。電話が鳴った。

 相手は、私の友人。「母が危篤」と病院から掛けていた。

 気になりながら深夜に床に入り、いつものビール「350・缶」も飲まず、医師から貰った睡眠導入剤を服用して眠りに入った。

 枕元の電話が鳴っている。番号表示に目ををやると彼から。すぐに明かりを点けて時計を見ると、午前3時半。彼のお母さんが1時間ほど前に亡くなられ、病院の手配した寝台自動車で自宅に帰っていた。

 すぐにスタッフに連絡して対応することになったが、スタッフが聞いてきた寝台自動車の葬儀の受注要望が凄まじく、友人の家族達が閉口していた。

 自宅までの搬送だけと断って病院に依頼した寝台自動車。彼らは、そこで葬儀の受注に至らなければ加算給与のないシステム。そのためには手段を選ばず、様々なテクニックで攻めてきて、時には脅迫まがいのことまであるので社会問題になりつつある。

 頼んでもしないのに「足袋を履かせましょう」「数珠を持たせましょう」と、次々に親切そうな行動を見せ、家族の誰かが病院で葬儀の依頼をしてしまったかのような「既成事実」をイメージさせ、巧みな受注セールスを展開している。

 友人は、これらを近所のご不幸で体験しており、私との関係もあり、黙って見過ごしていたそうだ。

 そして、「友人に葬儀社がいる」という言葉を出した途端、相手は掌を返したように冷たい態度に変わり、親戚の方々が驚かれていたと言う。 

 お世話になった医師や看護士さん。そんな方々への感謝の心情は、こんな病院出入りの業者の行動で「怒り」に変わってしまい、残念なことであろう。

 私が、ある講演で上述の話をした時、受講者の中に医療関係者がおられ、次の日から追跡のアンケート調査をされたところ、とんでもないイメージを与えていた事実が分かったと感謝されたこともあった。

 崇高な人生の終焉を迎えられた方に接する葬祭業。そこに従事する者が「ハイエナ」的な「商」の道を歩まれるのは残念なこと。それではいつまでも我々の業界に「文化」が訪れることはないだろう。

 雪が解け、耐え忍んでいた冬が過ぎる。

葬祭業界に「文化」という名の「春」が訪れることを待ち望んでいる。

 明日は、ホテルでの「偲ぶ会」。今からシナリオのチェックとナレーションの草稿をしよう。
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