2002-03-30

独 り 言

この「独り言」を始めてから、間もなく一月を迎えようとしています。また、日本トータライフ協会のコラム「有為転変」も、もうすぐ70日目がやってきます。

信じられないぐらい多くのアクセスを頂戴し、身の引き締まる思いで推敲していますが、毎日とは本当に大変な責務。ある高僧の「自分で選んだ道なのに、自分で迷うことばかり」というお言葉を思い浮かべながらも、大変な苦労を感じています。

 長年のえにしに結ばれる友人達からの感想メールの中に、「初老の身で青春時代を過ごしているじゃないか」と言うのがあり、<そうなんだ>と素直に思ってしまうのが単細胞の私。

携帯電話は「通話が出来ればよい」と言い切っていたことからすれば、彼らは、私のインターネットの活用が「青天の霹靂」との思いを抱いているらしい。

正 直に申し上げて、私はパソコンの機能の一万分の一も活用していない。ただ文字を列記して支離滅裂な文章を打ち込んでいるだけ。出張に際しノートパソコンを 伴ってはいるが、新幹線の中では恥ずかしくて打ち込む姿は見せられない。なぜならば、右手の人指し指一本で打っているからだ。

昔に数冊の 著書を発刊したが、それらはすべて原稿用紙に鉛筆で手書きしたもの。その頃からすると、ページの開き易さ、添削、原稿の持ち運びなど、こんな便利な機能は ないと実感しているが、人の10倍も時間を要しても、正式な指の運び方を勉強しないところが私の頑固なところ。これは死ぬまで変わることはないだろう。
 
研修会などで若いメンバー達に冷やかされることもあるが、「ハイテクの活用はロウテクの世界があってこそ生きる」なんて、負け惜しみの言葉で対抗をしている。
 
もっ と恥ずかしい話を表面化すると、転換出来ない漢字が登場した場合、東京のメンバーに電話を掛け、画面を見ながら指導を仰いでいる。それは、社員に馬鹿にさ れたくないというプライドがあるからで、これも直らないと確信しているが、相手にとっては大変な迷惑で、きっと辟易している筈だ。
 
しかし、そんなメンバーや友人達の存在は有り難い。笑覧の後、文字の誤りを発見してくれ、すぐに一報をくれる。そのお陰で何度打ち込みをやり直しただろうか。数え切れない。

過去に遡って読み返すと、これまで発信の文章の中には多くの文字の間違いや句読点の誤りの個所がある。だが、敢えてそのままにしてある。それは私自身の能力の表面化と歴史。半年後、1年後の文章と比べてみたいとの思いが込められている。
 
文章を「書く」こと、それは恥を「掻く」こと。一生「恥の掻きっぱなし」それも私の人生らしいと考えている。
 
「生 意気な」とご批判をされる方もご多数おられるでしょうが、本当の生意気な部分は、近い将来に展開されるだろう。それは、きっと衝撃的な提議として社会を騒 がせることになるかも知れない。しかし、1万人以上のご終焉儀式の司会に携わり、故人の人生の取材からナレーション原稿を作成した体験から、死に様、生き 様については自分の責任で自身のシナリオを創ることを学んだ。

病院の白い天井を眺めながら、自身の「生」の終焉の訪れを悟ったとき、過去を振り返って後悔のない人生でありたい。それだけは願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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