2018-10-09

生かされて  NO 8339

病院食心臓、肺臓、膵臓、肝臓,胃腸などに問題がないようだが、目の不自由が進み、耳鳴りも深刻になっている最近、フラフラ感が強くなって歩行も大変になって来た。

昔、大手術から退院された知人が「老衰は身体の全てが弱って来るから痛みはないが、癌になると問題のない他まで殺すことになるから痛みが生じる」と、辛かった闘病体験を語られたことがあったが、「眠るが如くのご終焉のお姿でした」と言われる最期を迎えたいものだ。

十回以上の入院体験のある私だが、大病を患っても「この世」に存命しているのは行わなければならないことが残されているからで、それを完遂しなければ「あの世」へ旅立つことは出来ない。

患ったことで後悔することは当たり前だが、晩年に3回も繰り返す入院となったのが「膵炎」だった。

ハワイ旅行で病的な偏食があるところから、ホテルの近くにあった日本料理店ばかり行き、そこで天ぷらを食べて生ビールを飲み、何時もあまり食べない朝食をホテルのバイキングで毎朝食べて帰国したら、人生最高の体重を記録。その頃から体調に異変を生じ始めた。

深夜に肩甲骨付近に激痛を感じ、それから一睡もせずに朝を迎えたら激痛が消えていて不思議だった。

数日後、夕方から寝返りの打てないような腰痛が始まった。過去に「ぎっくり腰」は数回体験しているが、その痛みが異質のものだと感じていた。

腰痛は3日間続いた。その頃から腹部に重たい痛みを感じ始めた。悪いことに各地から友人達が次々に来阪することがあり、それぞれを伴って天ぷら料理や串カツ料理で付き合ったが、それが病状を悪化させたようで腹部の鈍痛が言葉で表現出来ないようなレベルになって来た。

医院で診察を受けたら、腹部を押さえら先生が手を離される時に激痛を感じ、先生は「内部で炎症が起きているようだ。紹介状を書くから赤十字病院へ」と救急外来を予約くださった。

まさか入院するとは思っていなかったので準備もせずに病院で診察を受け、採血とCT検査の結果「膵炎」と判明、そのまま入院して絶食の点滴生活となった。

絶食は5日間で、それから数日後に退院したが、「アルコールを飲まないように、油物を食べないように」と主治医から厳命されて「寛解」と言う文字が書かれた退院証明書を貰って帰宅した。

それから3カ月経った秋のことだった。北海道旅行に行って函館の旅館の夕食で食前酒を飲み、青森県の八戸と気仙沼に立ち寄って全線JRで帰阪したのだが、自宅に戻ってからの土曜日に腹部に異変を感じ始め、医院が休診と言うことから月曜日の朝まで我慢をし、月曜日の朝に採血を受けてその日の夕方に入院することが決定。食前酒が引き金になったみたいで再発となった。

土曜日と日曜日を耐えたことが悪化させたようで、前回に入院した赤十字病院が満床のところから天王寺の鉄道病院に入った。

検査の結果は想像以上に悪かった。「管理栄養士さんのお世話になって生活するべきレベルで、もっと自覚と自重をしてください」と叱られたが、絶食で1週間を過ごした後に赤十字病院へ転院。5日間の絶食で連続11日間は最悪だったが、久し振りに出された米粒の入っていない重湯と具のない味噌汁も有り難かったが、添えられていたリンゴジュースの味が忘れられない思い出となっている。

3回目は、それから1年後のことだった。友人と食事をした際にノンアルコールのビールを飲んだら、帰宅するとすぐに異変を感じ、そのまま赤十字病院へ入院。先生や看護師さん達から「また来たの!」と笑われたが、ノンアルコールでも「車の運転には差支えがなかっても、あなたの病気には差し支えるのです」と叱られた。

この時は3日間の絶食で入院から1週間目に退院出来たが、アルコールは一切飲んでいないが、天ぷらは少しだけて食べている。

今日の写真は病院食を。
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