2018-10-02

台風連続  NO 8332

ドニャ・パス号 元「ひめゆり丸」台風25号が朝鮮半島の手前から右折するように日本海を進むような予報があってびっくり。猛烈なレベルに発達しているので恐ろしく、週末から日曜日頃に影響がないことを祈っている。

台風に関して自分のことや大阪のことを中心に書いているが、考えてみれば石垣島、宮古島、沖縄、奄美大島、徳之島、与論島、種子島、屋久島などは大変だ。台風が発生するといつも「南大東島」という地名が報じられるが。この島や沖縄本島は台風銀座の中心に存在するために何度も大変な目に遭遇している。

静岡県内では停電しているところが多いそうで、信号が点灯しないので事故が発生したニュースもあった。

55年前、神戸の中突堤から関西汽船の貨客船「浮島丸」で沖縄に行ったことがあるが、前にも書いたように当時はアメリカ統治でパスポートが必要だったし、通貨はドルで「1ドル360円」の時代で、パスポートの旅行先として「南西諸島」という表記があったことを憶えている。

天候が悪くてうねりが強くすぐに船酔いし、現在の関西空港から和歌山寄りにある「友ケ島」辺りから奄美大島の名瀬港まで何も食べられないという苦しい船旅だった。

「東シナ海」の海の色を鮮明に記憶している。濃いインク色でトビウオの姿も何度か目にしていたし、名瀬港の入口に「沖の立神」という小さな岩の祠があったと記憶している。

「沖の立神」は田畑義男さんのヒット曲「島育ち」の歌詞の中にも出て来るので印象に残っているが、そこまであまりにも荒天で大揺れだったので「出港しないで」と思っていたら次に立ち寄る島へ向かって出港、そこからの揺れは船室で横になっても転がる程で、那覇の泊港に入港した時にこの嵐で転覆した「みどり丸」の犠牲者を迎える人達がいっぱいだったことを憶えている。

帰路は鹿児島まで新造船の「ひめゆり丸」で快適だったが、鹿児島から大阪まで急行「霧島」を利用。我々は大阪駅で降りたが。その列車の終着駅は東京で、そこに到着するまでに同名列車が鹿児島駅を発車するのだから所要時間が想像出来るだろう。

当時の急行「霧島」はSLで、トンネルに入ると大変だった。8月だったので冷房のないことから窓を開けなければ仕方なく、トンネルに入ると同時に窓を閉めたが、大阪に到着した頃は真っ黒な顔になっていた。

「ひめゆり丸」が就航したのはその年の7月で、それから1か月後に乗船したことになるが、その船はその後に那覇と東京の航路に就航し、やがてフィリピンに転売されたのだが、火事故で全焼し、放置されていたのを別会社が引き取って改造し、信じられない程の定員にして近海を就航していたが、ガソリンを満載したタンカーと衝突し、一瞬にして火の海になって甚大な犠牲者が出た。

世界の船の事故の犠牲者数では映画にもなった「タイタニック号」が知られているが、改名されて「ドニャ・パス号」となってそれをはるかに凌ぐ犠牲者があったと伝えられているが、乗船名簿に記載されていない人が多数乗船していたと言われており、一説には4000人を超えたとも語り継がれている。

今日の写真は「ドニャ・パス号」を。
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