2002-09-18

逆 鱗 に ?   NO 199

一般的な葬儀は、1時間でご出棺となる。独特の慣習によって早朝にご出棺し、お骨が還られてから葬儀を行うところもあ るが、これらは遠洋漁業が盛んな港町であることが多く、なぜなら、喪主となる人物が漁に出掛け、半年間も帰ることがないこともあり、喪主が帰ってから葬儀 ということで、先に火葬をすることが慣習として土着したものである。

 大切な家族を失った人にとって、悲しみの中で火葬という儀式は残酷 でもあり、やはり正式な葬儀を終えてからがと考えるが、時代が変化しても慣習が変わることなく、未だに続いていることが残念であるし、それに甘んじている 宗教者は情けないと思わざるを得ないが、土着した慣習は、宗教よりも強いという顕著なしきたりでもあるだろう。

 さて、1時間の葬儀で、宗教者が儀式を担当されているのは凡そで45分。残された15分で祭壇の一部の片付けやお別れが進められる。

 お棺の蓋が開けられ、故人との最期のご対面。花や共に入れたいと願う物が悲しみの中で柩に納められる。この光景は、何千回立ち会ってもいつも映画やドラマのシーンのように感じてしまう。

 このお別れの時間、導師をつとめられた宗教者は控え室で着替えを済まされ、やがて火葬場へ向かう車に案内され、ご乗車ということになっている。

  あるお婆ちゃんの葬儀で、ご家族や近所の方々がお別れをされている時、ご導師が「私もお別れをさせてください」と入って来られ、スタッフから受け取られた 花を納められ、そして、「さあ、皆さん、一緒にお念仏を唱えましょう」と言われ、お念仏の唱和の中で柩の蓋が閉じられることになった。

 これは、本当に美しい光景であると思うし、すべての葬儀がこのようにありたいと願ってしまうのだが、実は、この時、この後にちょっとした事件があった。

 柩の蓋が閉じられた。周りを囲む方々が合掌をされている。私は、ここで、いつも行っている「命の伝達式」をやってしまったのである。

これは、私が発案したものであり、企業秘密としてここで内容に触れることは出来ないが、体感された誰もが「感動した」と言われる結果につながり、弊社のオリジナル「奉儀」のひとつとして継続されている。

 そのひとときの中に、導師がおられた。ふとお顔を見ると表情に変化が感じられ、何かまずい雰囲気があり、内心「しまった」と思った。

 やがて火葬場へと向かう車の中。委員長と喪主の会話が交わされるが、ご導師が一向に会話の中に入って来られない。私は、時折にバックミラーに目をやり、ご表情を垣間見る行為をしていた。

 火葬場では普通の状況ですべてが済み。帰路の車中も同じ状態で式場に戻ってきた。

 先に降りて車のドアを開ける。委員長と喪主さんがマイクロバスで帰られた方々にご挨拶に行かれる。ご導師が私に言葉を掛けられたのは、そんな時だった。

 「あれは、正直に言って、ショックを感じました」

 やはり、逆鱗に触れていたようで、すぐに「申し訳ございませんでした」と応える。

「いや、勉強させていただいのです。あれは、私達、宗教者が行なわなければならないことだったのです。私は、今日、貴方との出会いに感謝をし、今後の葬儀からは必ず行います。有り難う」

 初めてお会いしたそのお寺様。年齢は、60歳を過ぎておられるように見えたが、すがすがしい思いというよりも、正直言って、逆鱗に触れなくてホッとした出来事であったが、あのお寺様が「命の伝達式」をされたら、きっと素晴らしいご出棺となるだろうと思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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