2002-09-17

プロの哲学   NO 198

葬儀の司会者は全国に多く存在するが、その大半は与えられたシナリオを進行する司会であり、葬儀や社葬、偲ぶ会、お別れ会の総合プロデュースを担当するのは極めて稀である。

 私がプロデュース担当の基本にしていることは、終焉の「儀式」であり、単なる「会」や「集い」の考えで進められるなら、それが3000人も出席されるような大規模な場合でもお断りをしている。

 プロである以上、主催者やご遺族が嘲笑されるような仕事は請けたくないし、そんな司会やプロデュースは、「仕事」でなく「作業」で済ませればよいと思っている。

 司会の要請から、打ち合わせ時に内容が大きく変更することも少なくない。それは、私のプロとしての信念を伝えることで始まり、説得が納得の方向へ転じた場合である。

 ある著名なホテルのオーナーの偲ぶ会が行なわれることになり、会議に参上した。その時点ではすでにシナリオが完成しており、この通りの進行でお願いしますということになった。

 私は、本番までの日数に余裕もあり、会議での即答を避け、3日以内に私なりの考えを書類で提出しますと応え、司会を受けたという発言もしなかった。

 さて、3日後、私の創作した書類を担当社員が届けに行った。書いた内容は、ホテル側で構築されたシナリオでは私が司会を担当するレベルではなく、ブライダル司会者に依頼されても対応可能なレベルですと書いた。

  但し、そのシナリオに対する細かな分析と、参列者に生まれるであろう心情を箇条書きにしたため、すべてが終わった時に確実視される嘲笑の声には耐えられま せん。プロは、笑われると分かっている仕事は請けられませんと、はっきりと断言までしてしまい、相手側の怒りに触れキャンセルという結果を予測していた。

 それから2日後であった。再度の電話を頂戴し、改めて気まずい思いで参上すると、意外な結論が伝えられてきた。「君にすべてを任せる。思うようにやって欲しい」。

  強気で行動してしまった以上、この意識変化に対応することは大変である。しかし私が問題提起した葬送の本義をご理解されたことは確実で、厳粛な式と和やか な偲ぶひとときとの2部構成を組み上げてシナリオ化し、設営以外の進行スタッフは、全員を女性でキャスティング。私の描いたドラマ調の偲ぶ会が行われるこ とになった。

 さて、当日の本番が終わった。参列者の評価がすこぶる高かったようで、主催者側のご機嫌が麗しく、プロとしての達成感を味わうことになった。

 「断られた時はショックでした。突き放すこともプロとしてのシナリオテクニックだったのですか?」という質問には、正直言って答えられなかったことを白状するところである。
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