2002-09-14

ノスタルジー    NO 195

一昨日、奈良県橿原市での葬儀を担当した。広い庭には、故人がお好きだったゴルフのグリーンもあり、アプローチ練習が充分に可能なスペースもあったが、もう、それをお使いになることもなく淋しい思いがあふれてきた。

 ご出棺をして火葬場に向かう。何度か行ったことのある橿原市立斎場。途中の道路に掲げられている地名看板には、石舞台、高松塚など、日本の故郷という明日香村らしい案内がされており、小学校時代の遠足で来た当時の光景が懐かしく思い出されてきた。

 今回のご葬儀は喪主様の存在がなく、施主という立場の有志の方々で進められていた。今年の冬に奥様に先立たれた故人には子供さんがなく、えにしに結ばれた方々がご位牌やご遺影をお持ちになりご出棺となったが、私には、ひとつの懸念を抱くことがあった。

 それは火葬場で行われる点火ボタンのプッシュで、血縁のない方が担当されることに、どんなご心情が生まれるかということで、車を運転しながら霊柩車の後に続いて火葬場へ向かっていた。

  大阪市内の火葬場では、お柩が炉の中に納められた時点で自動点火というシステムであり、ご遺族が点火ボタンを押す必要はないが、地方に行くと、「点火ボタ ンをお願いします」と、火葬場の係員が要請されるところも多く、中には、裏側に回って点火された事実の確認をしなければならない所もある。

 如何に葬儀という終焉の儀式を終えた後と言っても、点火の担当を悲しみのご遺族に託することは残酷極まりないように思うし、いくら決別の情を断つ意味があるとしても避けてあげるべき配慮が必要であると考えている。

 ご出棺に際しお柩の蓋に釘を打つ。ご出棺の時に茶碗を割る。玄関以外の所から出棺をするなど、地域的な慣習や習俗が未だに残っているが、すべては「人が作ったもの」「人が決めたもの」である以上、馬鹿げたことは人によって変えるべきだと思う。

 今回のご葬儀の日程を決められる時、ご自宅で仮通夜をされ、13日の葬儀という考え方もあったが、皆さんの合議の上に12日の葬儀となった。

 13日は「友引」の上に「13日の金曜日」。そんなところから「とんでもない」とのご意見もあったようだが、そんな誰が決めたか分からない謂れに影響されて葬儀の日程を早めたり遅らせたりすることは、故人にとっては迷惑な話であるように思えてならないところである。

 故人の歴史を伺った時、大連中学、旅順会という激動昭和の時代によく登場してくる名称を耳にした。人生それぞれに幼年期、青春時代があった筈。戦後生まれの私には計り知れない苦難もあられたものと推察申し上げる。

 久し振りに大和三山を眺めながら、不謹慎なことで申し訳ないが、小学校時代の遠足に初恋の相手を思い出し、明日香の道を懐かしく走行。山々の緑や空の雲には秋の訪れを物語る「もの悲しい」風情を感じるひとときとなった。

 先立たれた妻を送り、それから約7ヶ月間過ごされた孤独の日々、広い敷地のすべての場にご夫婦の思い出がある筈。どんな去就に耽られたのだろうか。

そんな思いを託しながら、明日は、日本トータライフ協会のメンバー掲示板から、伴侶を亡くしてからの男の淋しい思いを綴られた著名な方の「詩」をしたため、今回に送らせていただいた方の人生の黄昏を偲ばせていただきます。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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