2002-09-13

生意気ですが、ご海容ください。  NO 194

若いご住職が「相談がある」とやって来られた。
お話を伺うと、通夜の説教で「聴いてくれるムードや姿勢が生まれないのです」というお悩みであった。
 
通夜や法要でのお説教、法話は、大都市圏では少なくなったが、「説教があるのか」と抵抗感を抱かれることも多く見られ、若い住職達の悩みの種になっているようだ。

「あなたは宗教者ですよ。通夜での主演となる立場にあります。堂々とお話をされるべきですが、聴かせるための勉強と努力も必要です」
 
そんな失礼な言葉を返してしまったが、多数の方々に話を聴かせるには話術も重要であることを知り、基本的な「話し方」ぐらいは学ぶべきだろうとアドバイスをした。

説教の内容の大半は、ご自身の宗教に基くことや「作法」の枠にとらわれてしまいがちだが、これでは参列者の心の扉を開けさせることが難しく、グローバルな観点での「なるほど」という心情を抱かせるテーマも考慮するべきである。
 
読 経が終わった。一礼の後、参列者の方に向かう。「今日は、**さんのお通夜。皆さんがご弔問くださったことを、故人はきっと感謝をされておられると思いま す。今から、10分間、お話をいたします。私は、生前、故人とは何度もお話をしたことがあります。そんな中、印象に残っていることがありました・・・」

「**分間」という冒頭の言葉も重要で、それが20分、30分でもよいのである。一般の方々には「説教とは長いもの。いつ終わるか分からない」との先入観があり、これを払拭することからスタートするのもテクニックのひとつである。

 「あなただったら、どんな説教をされますか? 例えばというヒントを教えてください」  
 そんなご要望から、私が無宗教形式で行なう「司式バージョン」のさわりをやってみることになってしまった。

「こ こにご家族が悲しんでおられます。大切な方を失うということは体験した人にしか理解出来ない悲嘆に陥ります。皆さんの中にも涙を流しておられる人がおりま す。涙は悲しいから流れるのでしょうか? そうではありません。涙は感情が極まった時に生まれるもの。生きている、生かされているという証しでもあるので す。皆さんが流す涙は、故人の死に対するものなのでしょうか? それとも、この日がやがてやって来るというご自身への哀れみからなのでしょうか? この涙 の色は異なる筈です。両方の涙が混じらないように願いながら、明日の導師をつとめます。故人は、皆さんと知り合って過ごされた人生に、きっと感謝をされて おられる筈です。出会いそのものが故人へのプレゼントと言えるかも知れません。皆さんは、**さんの死に接しられて命の尊さを学ばれました。別れというも のは悲しいものです。今は、本当につらい試練の時を迎えています。夜から朝に、冬から春へと、巡り来る時の流れには過去、現在、未来という言葉が存在しま す。いつか、きっと朝や春を迎えることを願うばかりです。**さんの死が、皆さんの生を知られる機会となり、明日からの人生の糧のひとつになれば、**さ んも、きっと喜ばれるものと拝察いたします。今日は、ご弔問くださいまして誠に有り難うございました。故人に成り代わってお礼を申し上げます。南無阿弥陀 仏・・・」

 通夜の説教で「焼香の作法」を教えておられるケースが多い。また、ご自身の宗教の意義を専門的に説かれる方もおられる。遺族の存在、参列者の存在を考える時、失礼な表記で恐縮だが、おのずとして説教のシナリオを熟慮されるべきであろう。

 一方通行でのお話、それは、聴く側に伝達出来たという結果がすべてであり、説教者が宗教者として認識される重要な機会となり、講釈師型や落語調が受けていると勘違いをされておられる住職も少なくないようだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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