2002-09-09

秘められた大事件  後 編   NO 190

この委員長さんがおっしゃられたことは、今、全国のホテルで発生しつつある重要な問題である。参列体験に生まれた疑問の爆発というところだが、その背景には事情があった。

 それは、この方が委員長をされた、ある「お別れ会」を私が担当したことがあったのだ。
その打ち合わせ時、今回ホテル側が提案された形式をご本人が進められており、社葬会議の時に、プロデュースと司会を担当する私と戦いを交わし、全面的に私の意見に賛同いただき、その結果「素晴らしい社葬だった」という皆様からのお言葉を頂戴された経験があられたのである。

 その時に私が提案した社葬の意義。それらはホテル側が独自で考えられたものとは全く異なる世界で、「ご遺影をお飾りする以上、故人に失礼なことだけは止めましょう」という言葉に衝撃を受けておられた。

  社員が社葬の式次第に参加し、会社を挙げて社葬を行っている。また、悲しみの遺族が癒されるひとときが構成されている。そして、もっとも重要なことである 故人の人生表現のひととき。参列者が故人の死に接することによって知ることになる命の尊さなど、様々な創作シナリオで語り掛けた私のプロデュース。それ は、信じられないような感動を頂戴することになったが、メインのナレーションの中に挿入させた「私の死は無駄ではないだろう」という言葉の部分に、「社葬 の意義を感じた」とおっしゃっていただいたことが本当に嬉しかった。

 さて、ホテルマンとのその後の成り行きだが、結果としてホテル側では対応不可能ということで、委員長さんの要請から私がプロデュースと司会を担当することになってしまった。

 式次第もすでに印刷され、開会の言葉の次は「お別れの言葉」となってしまっていたので、ホテル側に恥を掻かせることを避け、開会の言葉までに様々な演出を組み入れることにした。

「そんなことが出来るのか?」と、疑問を抱かれる方もおられる筈なので種明かしをするが、オープニングは「プログラムのページを開かせていただきます」で始めたのである。

 本番の日まで、ホテル側には、私に対する敵対心がありありと見えたが、終わった時、担当責任者が握手を求めてこられたのだから、彼だけは理解に至ったことは確かだ。

 この委員長さんは著名な方で、これからも全国で行われるホテル社葬やお別れ会、偲ぶ会の委員長をご担当されることがあるだろう。

偲ぶ会、お別れ会、社葬などがホテルを会場とする潮流だが、体験された方々によって世の中が変化して行くことを知らなければならないだろうし、本義を重視する「正道」だけが生き残ることは歴史が物語っている。

 この「独り言」を訪問される方々の中には、メールの分析からもホテルマンも多い。皆さんが今回のホテルマンのような被害者とならないように願っているが、終了後に委員長さんが担当ホテルマンにおっしゃられた次の言葉が印象に残っている。

「このホテルがこれまでに担当した偲ぶ会やお別れ会、その遺族や故人に対して失礼だった。申し訳ないことをしていたと思っているかね。取り返しのつかないことを仕出かしてきたということだ」
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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