2018-05-11

ミステリー  NO 8196

寺田町交差点 あべのハルカス遺言は直筆でないと成り立たないことを知り終活の仕上げに進めているが、財産にはプラスもマイナスもあるので確認しておかなければならず、少しでも取引関係のあった銀行を調べる必要があった。

知らない内に連帯保証人にされていたら大変だし、借入金が完済されていてもその連絡がなければ分からないので調べて貰わなければならない。

そんな中、昨年末頃から妻が何処かに置いていた預金通帳を並べ、「これを見て」と言うので驚いた。

それは定期預金の通帳で、高金利の時代に預金したもので自動継続のもの。定期預金は証書タイプが一般的だが、通帳タイプの存在もあった。

銀行の名称も時の流れの中で変わっていたが、それぞれの通帳の金額を合計するとかなり高額になるし、自動更新されているとなると少なくとも倍になっており、夫婦二人で世界一周が可能な金額となるので喜んでいたが、それぞれの銀行の窓口で確認すると全てが知らない内に引き出されており、通帳も印鑑もあるのに誰がどのように引き出したのかまるでミステリーである。

いっぱい旅行に行けると思っていたのが夢のように消えてしまったが、頼りない妻の一面を改めて知った。

私より驚いて「信じられない!?」と言っていたのは妻の方で、しっかり管理していないからだと指摘しながら慰めたが、かなり衝撃を受けていたようだ。

そんな話を友人にしたら、「ひょっとして銀行のスタッフが?」なんて疑念の言葉もあったが、銀行がそんなことをする筈がないというのが私の思いで、「人偏」に「夢」という字が「儚い」ということを学んだ。

辞職した国税庁長官やその前の国税庁長官も特捜部の事情聴取を受けたニュースもあったが、森加計問題が「水掛け」にならないことを願っている。

我々夫婦も近い内に国税庁の事情聴取を受けなければならないようだが、我々は被害者なので問題はなく、これまでの経緯について包み隠さず話すつもりだ。

親戚に監査法人に勤務する会計士がいるが、彼の意見では「最悪」ということだった。今更どうしようもないが、必然の道を選択したのは相手側で、愚かな感情に流されてしまったのだろうと想像するが、後悔しても始まらない問題であることは確かである。

ここからは「幸せ列車」の「10年前の独り言」から転載を。

新聞記事から  NO 2196   2008-05-07

子供の日、毎日新聞朝刊一面の「自殺実態1万寺調査」という見出しの文字に目が留まった。「僧侶の役割探る」「お西さん中旬から」という小見出しから記事を読んだが、宗教者とされての重要な責務の一環を進められるのだと期待をしたい。

これで思い出したのが若かりし頃に出会ったご住職のこと。あるお婆ちゃんのご葬儀で瓜破斎場にご一緒し、式場に戻ってからお寺までお送りした車内で伺ったお話が印象に残っている。

年齢は、私より10歳ほど上だったが、お寺の後継者でありながら少し前までサラリーマンだったと教えてくださった。

「銀行に勤め、次長だったのですがね」と仰ったのだが、次長と言えば支店長に次ぐ2番目の役職、それを思い切って辞されることになった経緯に「自殺」という問題が絡んでいたのである。

「住職は、親父がやっており、高齢になっても私は仕事を続け、日曜日に法事の手伝いをする程度だったのですが、ある日曜日、親父が導師を務める葬儀の役僧として檀家さんの自宅へ行ったのです」

その葬儀、若い娘さんが自殺をされたというご不幸で、悲しみにくれられる家族の方々の姿に衝撃を受けられ、読経をしながら涙が出て来て仕方がなかったそうだ。

「私が檀家さんを回り、その娘さんの辛い思いを相談されるような立場だったら救えたのかもと思うと自分に腹が立ち、その後悔たるや言葉で表現出来ないほどのもので、次の日に銀行を辞職する決断をしたのです」

宗教者とは、人を幸せにする立場であろうし、どうにもならない不幸な人が存在すれば「少しでも不幸でないように」と願う行動をされる責務があるとも言えるだろう。

過去に、自殺をされてしまった不幸な方々の葬儀を担当したことも少なくないが、その度に失礼なことだが導師を務められるお寺様の後ろ姿を見ながら「何とかならなかったのですか?」と無言の呼び掛けをしてきた歴史が秘められている。

十数年前、同業者の全国的な研修会の中で、ある地方の葬儀社の司会者さんが次のように嘆かれたことも鮮明に記憶している。

「お通夜のお説教で『自殺は最悪、極楽には行けない』と言われ、背筋が凍りつき、ご遺族や事情を知られる弔問者の皆さんの表情が変わったのをはっきりと感じましたが、ご本人は、全く気付かれることもなく続けられたのです」

お分かりだろうが、そのご不幸は「自殺」であり、その事実をご存じなかったお寺さんもお気の毒な部分もあるが、重要な情報提供として伝えなかった葬儀社と司会者にも責任があるとも言えるだろう。

お通夜の始まる前のご導師との打ち合わせ、そこで「故人」情報を求められるお寺様もおられるが、それは、宗教者として「悲嘆」を理解される中で大切なことであろう。

今日の写真は国道25号線の寺田町交差点で撮影した「あべのハルカス」を。
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