2004-06-25
葬儀と音楽 NO 832
スタッフ達が持ち帰る故人の人生情報だが、そこにはその方の生きた証しの一部が感じられる。
そこから想像を膨らませ、開式前のナレーション、開式の辞、弔電代読ナレーション、生い立ちナレーション、謝辞のフォローの言葉、そしてお別れ時とご出棺時のナレーションを創作する。
ご出棺を見送って式場を出て歩いていると、会葬に来られていた数人の方々とお会いした。
「司会の方でしたね? 不思議な感じを抱いた葬儀でした。音楽が印象に残っています」
と嬉しいお言葉。
ご一緒の道すがらは3分程度だったが、岐路でお別れの際、「私も葬儀のための選曲をしておくわ、有り難う」と笑顔でおっしゃったのが嬉しかった。
今日の葬儀だが、故人がお好きだった音楽のレクイエム編曲バージョンを3曲使用した。参列された方々がお耳にされたのは初めてのこと。音楽にはそれだけ強烈なパワーがあるということを再確認した思いだった。
私が式場に到着して始めにすることは、音響システムのチェック。祭壇両側に4本のスピーカーがセッティングされており、そのすべての音が均等に出力されているかの確認をする。
今日は、その内の1本が不調。すぐにチェックをさせてみると配線の「つなぎ目」の接触不良が原因と分かったが、<これぐらいは確認しなさい!>と目で叱った。
先月、新しいCD制作が完成し、日本トータライフ協会のメンバー達に手渡すことになったが、それぞれの曲に秘められた深い思いをまだ伝えていない。
それは、高度なマインドコントロールへの奥義を学ばなければならず、参列者全員参加形式の葬送の「かたち」に到達できれば真の完成だと考えている。
昔、宗教者団体への講演で偉そうなことを言ったことがある。「導師は死者に引導を授けるが、我々葬儀社は涙と平静の間に立って参列者へ告別の引導を授けるもの」と。
受講されていた宗教者の方々の顔色が変わるのは当然。続いてその発言の真意を説明すると豪くご納得に至った次第であった。
この「告別の引導」が、私は「音楽」だと考えている。故人のことについて参列者に何をお持ち帰りいただくかとなれば、どこかで故人のことを思い出してくださることが何よりの供養であり、それが「思い出を形見に」という弊社の企業理念のひとつとなっている。
弊社には多くの営業セールスが来社されるが、担当者との会話の中で<感性がありそうだ>と感じた人物を隠れ家に招き入れる。そこでちょっとだけだが数曲の音楽を聴かせると、それだけで涙を浮かべるケースが半分以上あるのが驚き。
「こんな音楽が?」 それは、弊社の「知的財産」でもあるオリジナルサービスだが、ここに至るプロセスこそに苦労があり、それこそ「血的財散」なのである。