2012-09-23
書く掻くしかじか? NO 3054
机の上に過日に書いた「大法輪」が数冊置いてある。それぞれの特集タイトルを目にするだけでそれがどんな本なのかは一目瞭然。「今こそ読みたいブッダのこ とば」「宗教は必要か」「仏教から何が学べるか」「日本人の心と身近な神仏」「心と身体をととのえる呼吸法入門」「日本仏教各宗重要語事典」などだが、一 冊税込みで840円。1年間書店から配達して貰って「10080円」の教養書。この本を愛読される方々が想像以上に多いことも知った。
昔、廃刊となってしまった「仏教寺院」など多くの仏教関係の書物が発刊されていた。過去に書いた愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」が新聞で大きく採り上 げられたこともあり、それからしばらくの間、ある宗教書の中で仏教関係のベストセラーとして掲載されていたのでびっくりしたことがあった。
あれから約30年の月日が流れたことになるが、あんな時代によくも変な物語の小説を書いたものだと背筋が寒くなる。発刊してしばらくすると毎日新聞社から 電話をいただき、編集委員であられた「八木亜夫」氏と対談をという企画が進められた。結構メジャーな連載コーナーで、確か「八木亜夫の交談楽語」というよ うなタイトルがあったと記憶している。
当時堂島にあった毎日新聞社の古風な本社ビルに行き、応接室で八木氏と2時間ほどお話をさせてい ただいたが、その間、カメラマンらしい女性にあちこちから撮影され、恐らく100回以上シャッター音を耳にしたので落ち着かず、八木氏から「自然のイメー ジを撮るから緊張されないように」とアドバイスを受けたが、それは何十回と出演したテレビの生放送より緊張した思い出として残っている。
それから半月ぐらいしてから紙上に掲載されたが、大きな写真もあったところから、朝刊を読んだ友人や知人の人達から100本以上の電話があり、中には「あのコーナーに採り上げられるとは凄いことだぞ」の言葉も少なくなかった。
その影響からか、急に出版社から電話があり「増刷しても」と言われたが、売る目的で書いたものではないので初版だけでと返したが、ある大手の書店に行ったら「新聞で紹介された書籍」として積まれており、目の前で購入された女性がおられたので恥ずかしくなった。
これまでに「書く」ことは恥を「掻く」ことだと何度も書いたが、それはずっと抱いてきた私の本音。ネットなら削除することは簡単だが、書物として発刊してしまったら何処の何方様の手に流れるかは分からないし、回収なんて絶対に不可能となってしまうのだから恐ろしい。
考え方で「西」と書いたのに、人と出会って「東」もあると学んでもどうにもならないところが怖いではないか。
しかし、ご笑覧くださった方から手紙を頂戴したことも結構あった。その中に「これは良書です。是非増刷されて社会に広く」なんてお言葉があって恐縮したことも忘れられない。
今の時代ならメールがいっぱいということになるだろうが、手紙や葉書を頂戴することの重さは異なるもの。文字を書くことと打つことの違いは大きな差異があり、当時を懐かしく思い出す昨今である。
今日の写真は昨日に続いて孫のもの。アメリカに在住していた頃の大手スーパーの内部で撮影されたものだが、こんな買い物カートがあるなんて如何にもアメリカらしい。ハンドルが二つもある発想が凄いと思える。