2004-06-13
参ります? NO 820
「あなたは、お寺さんですか?」 「そう(僧)だ」
「お墓の売れ行きは如何ですか?」 「ぼちぼち(墓地)だ」
そんな小噺を耳にして笑ったことがあるが、最近、お寺さんの世界も急変してきているようだ。
DMやメールの中に、びっくりするものがある。「何宗問わず、葬儀の導師を承ります」という表記や、枕経から通夜、葬儀、還骨、法要まで、それぞれの単価まで添えられていたものもあった。
新聞広告にも「高額なお布施、ご存知ですか?」というキャッチコピーがあったが、お寺さん達が組織化し、会社みたいになるのは寂しい話だと考えている。
家と寺という檀家制度を無視されるケースも増えているようで、「初七日からお願いしますと」と言われ、初めて檀家の不幸を知られて衝撃だったと伺ったことも多くある。
一年間だけ各宗派の「お経」の読み方を学び、俄か仕立てレベルでお寺さんらしい格好で導師として派遣される。それで葬儀のお経なんて完全なBGMでしかなく、送られる故人が災難とも言えるだろう。
「数珠ばかりでは和尚は出来ぬ」「衣だけでは和尚になれぬ」
そんな「ことわざ」があるが、「衣」が導師をつとめる光景だけは見たくないと思っている。
私や社員が訪問しているHP「空飛ぶ水冠」内に「法具の部屋」と「法衣の部屋」があるが、上述のサラリーマン的な「読経屋」さんには必見世界なので開いていただきたいものだ。
昨日、テレビで曹洞宗の特集番組があった。永平寺での修行や座禅の光景も放送されていたが、頂点に存在される高僧のお言葉が耳に残った。
100歳を超えられた大長老だが、「今の世の中、どこを見ても何かがおかしい。道元禅師の説かれたことを、宗教者として行動で範を示さなければ」と説かれていた。
ゆっくりとした説得力のあるお言葉、ふと、108歳でご遷化された清水寺の大西良慶さんのお顔が浮かんだ。
拝聴されているお寺さん達の姿が美しい。
それは、衣に包まれた中身である「人」から発せられた自然な姿だと感じたのは、私だけではなかったと思っている。