2003-06-19

通夜での後悔     NO 462

ある通夜の式場での出来事。導師のご読経の中、参列者の焼香が進められている。

 この式場の中の空気が重い。その原因は、働き盛りの男性の急逝ということがあったが、リストラを悲観された自殺という不幸な出来事が秘めら、その事実は親戚の一部だけにしか知らされていなかった。

我々葬儀を担当する立場は、時にしてお客様が秘密にしておきたい事実を知ってしまうことも少なくない。医師や弁護士などと共に、我々にも「秘守義務」があると確信している。

そんなところから、スタッフ全員には、入社時から「秘匿せよ」という緘口令を発してある。

 さて、ご読経が終わった。導師が参列者の方に向かって座り直され、お説教が始まった。

 私は、内心、「しまった」という思いを抱いた。導師の表情が想像していたより暗くない。

 「言うべきだったか」との思いは、最早、手遅れ。「今更」という言葉が頭の中で交差し、後悔という重い世界に沈んでいく自身の愚かさを嘆く。

 「皆さん、よう、お参り。故人も、きっと『おおきに』と言ってますやろ」

 完全な大阪弁トーク。よりによって軽い「枕」の入りではないか。
これは、90歳や100歳の方の通夜なら許されるだろうが、悲しみの深い通夜での説教に大阪弁は絶対に似合わない。

 これまでに多くのお寺さんの通夜説教を拝聴してきたが、大阪弁を売り物にされている方は「お笑いを一席」というイメージが強く、目と耳を覆いたくなる光景に何度も遭遇した。

「人の命は分かりまへんなあ。最近、自殺が増えとりますけど、皆さん、自殺は、あきまへんで。せっかく仏さんからいただいた命を粗末にしたらあきまへん。自ら命を断つというのは、それこそ悪業でしかおまへん」

 遺族と親戚の顔色に変化が生じるのは当たり前。説教するなら相手側の表情をさりげなく確認しながら進めるのも基本の筈。

 この導師を責めるつもりはないが、少なくとも故人の終焉された時の環境ぐらいは把握していただきたいもの。

 この導師、年齢は40代。「どうして大阪弁で説教するのだ」「どうして自殺という雰囲気を感じていただけないのか」との思いが込み上げてきた。

説得という行動に無言のブーイングは最悪。それを感知する能力なくして説教は似合わない。一方通行方が許される宗教者という立場でなければ、不謹慎だが噴飯ものとご理解いただきたいところ。

 そこで僭越だが宗教者に二つの問題提起。死因の事実を認識されることと、大阪弁の説教を標準語に変えられるべきということ。

 納得の生まれる説得技術は、絶対に宗教者に不可欠なもの。真剣にお考えいただきたいと心から願っているのです。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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