2002-09-24

小説 「幕末物語」  番外編   NO 205

中にいた長屋の衆が追い出される。二人の岡引を伴った同心が入り込み、入り口の扉が閉められる。中には、先生、豪商、 大家、丁稚が残っているが、大家を除いて動揺する気配は微塵もない。「何事じゃ」と言って飛び込んだ役人達も、先生の威厳に臆されたのか急に言葉が丁寧に なる。

「役目ながら申し上げる。拝見するところ、神殿の新設とお見受けいたした。この長屋だけではなく表筋にまで人が溢れ、聞き及んだと ころでは神の使いとのこと。最近、この江戸市中では、神仏をもって紛いなる搾取を取り込む噂も窺い知るところなり。ご貴殿達が、その類ではないとの確証を 得がんがため罷り来たものとご承知願いたい」

 偽者と疑ってきている。そう誰もが思ったが、大家以外は落ち着いたもの。やがて、男が言葉を切る。

「これは、ご苦労様でございます」

 男は、過日に長屋の衆に話したことを、もう一度話し始めたが、結びの言葉で、大家が驚く言葉を発することになった。

「お役人様には、お役柄、確証なきものは認め難いと存じます。そこで、本物か偽者かということをお確かめいただくことも必要かと考えおります。これより、お役人様ご自身の目でご判断を願うということで、ご神事をご体験いただくことは如何なものでしょうか?」

 役人達の目が輝く。元から興味を抱くことであり、偽者であることを召し捕れば手柄ともなる。自身に損のある話ではない。すぐに結論となる。

「異論はござらん。役目として、是非、拝見させていただこう」

 やがて、男の指図で、丁稚が祭壇前に置かれていた花瓶を持ち、台所に下がり、水を入れていた。そんな時、男が言葉を挟む。

「お 役人様達は、偽者をお召し捕りになられたこともございましょうが、この先生は正真正銘の本物でございます。現に、この私が救われましたし、手前どもの使用 人の多くが驚いた神通力の持ち主でございます。今、神事の準備をいたしておりますが、それとは別に、もうひとつ余興といたしまして、これをお持ちください ませんか」 

 男は、半紙で包んだ物を懐から出し、同心に渡した。手にした同心は、手触りでそれが小判であることをすぐに理解した。

「これは、賂ではないか」
 それは、男だけに聴こえるような小声であった。しかし、男は、以外にも大きな声で返答する。

「これは、先ほどに申し上げましたように、余興でございます。もうすぐ、その意味がお解かりになられます。もう少しだけお待ちください」

 男と同心のやりとりの間、丁稚は水を入れた立派な花瓶に榊を入れ、続いて幣を結び付け、神殿の準備が整った。いよいよ真贋を賭けた神事の始まりである。

      明日に続きます
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