2003-02-18

ペンギン、東京へ    NO 348

ナレーションの吹込みが溜まっているが、今日は目まぐるしい1日となり、先延ばしとなってしまった。

 出張で、明日の夜に東京に入る予定を組んでいたら昼頃に電話が入り、上京する用件が急に1件増え、夕方に上京することにした。

  先月に急逝された日本の超有名人の偲ぶ会が、来月、東京のホテルで行われるが、このプロデュースに関して難しい問題があり、アドバイスを求められることに なったのだが、電話から伝わってきたイメージからすると、展示会や発表会になってしまいそうな「会」の中で、悲しみの遺族のことを慮り、何とか「式」に構 築出来ないだろうかと暗中模索の状況のようで、発起人や主催者団体が広範囲に及び、これらをまとめるには簡単なことではなく、まずは、その交通整理からや り直ししなければならないだろう。

 最近流行のホテルを会場とする「偲ぶ会」や「お別れ会」は、何度も書いたように、単なる「集い」や 「会」に併せ、参列者の社交場的な会場空間となり、悲しみの遺族の存在が全く忘れられている傾向が強く、飾られた「遺影」に対する礼節を欠いた形式が主流 となってしまっている。

 これらは、体験された遺族だけではなく、参列された人達からもその声が上がっているが、ホテルやホテル専属のフラワー会社にはこの認識がなく、ホテルは会場空間と食事だけを売りものにしてしまっているのが現状。

 私が「何れ、社葬というものが行なわれない時代が来る」というのがこのことで、それらをスピードアップさせているのが現在のホテル業界だと思っている。

 「偲ぶ会」や「お別れ会」の中で「式」を組み入れる。たったそれだけで意義が生まれる筈。その本義を解らずして「葬送サービス」は有り得ないと断言するところである。

 さて、夕方に、大手葬儀会社に勤める友人が来社した。彼とは古くからの付き合いがあり、ヨーロッパ旅行に行ったこともある仲だ。

 互いの葬祭業に対する思いをぶつけ合うが、彼の会社ではどうしてもマニュアル中心でしか成り立たず、多様化、個性化ニーズの時代にあって逆行しているような思いを抱いている。

 私が担当した無宗教葬儀の参列者が、今年の1月に彼の会社が担当した無宗教葬儀に参列され、「これは、いったい何だ? ただ宗教者が入っていないだけではないか」と驚愕されたことを伝えたが、彼の会社では、司会もマニュアル。それも仕方のないことだった。

無宗教には「司式者」が不可欠なんて、今の葬祭業界では夢物語のようだが、彼は、その重要性を認識しており、私の話を興味深く聞いていた。

司会者から司式者への意識改革。そんなことを10年以上前から力説してきたが、無宗教の流行やホテルでの葬送サービスが社会認知されてきた今、その重要性がいよいよ認識されてくる時代の到来だと思っている。

風邪の症状が腰痛を引き起こしているようで、歩く姿がペンギンみたいで恥ずかしいが、明日は、そんなペンギンが東京を歩くことになる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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