2002-12-13

通過儀礼の再認識     NO 282

お歳暮のシーズン。義理的なことを割愛すれば無駄な経費の削減となるのに出来ないのが「慣例」で「しがらみ」。
止めれば消費ダウンにつながり余計に社会不況となるかも知れず、好循環、悪循環は世の習い。

 多くのお歳暮の中に、思い掛けない方からの恵贈品があり、<間違いかも知れない>との思いを抱きながら、お礼の電話を差し上げた。

 「私のささやかな感謝の気持ちなのです」

 そうおっしゃられるのだが、頂戴する接点も考えられず、「?」が続くまま数分が過ぎた。

 「実は、あなたの講演を受講していたのです。名刺の交換が出来なかったのですが、お話の中に異業種である私に大きなヒントの発見があり、不況の中で活性化の道が見つかり、今、来春に具現化出来る製品に大きな期待を寄せているのです」

 今秋の講演というところから思い出したのは、企業経営者団体の講演。
テー マはもちろん葬儀であったが、ピラミッド社会システムの崩壊について分析した「宗教組織団体の危機感」に興味を持たれ、続いて行う質疑応答が大きな社会 ニーズの把握につながっているという体験談に閃かれ、社内会議でお客様の声を拝聴する企画を進めたところ、予想もしなかった発見があり、その商品化を進め たということを教えてくださった。

 社会不況と叫ばれている中、全国への出張の際に<どこが不況だ>という世界に出くわすことも少なくない。一流ホテルの一流レストランがいつも満席ということも不思議な話。

 一般的な消費に於ける好不況は、その店の経営姿勢や、お客様の獲得につながる「知恵」にも左右されているように感じている。

 我々葬祭業にあっても、弊社のように人生表現を重視し、ご家族の思いを「かたち」にと考える業者もあるが、一方に価格破壊のような「表記」で集客を描かれ、実際にはオプションの部分で高額な金額を請求されるケースも増えている。

 日頃に体験することのない非日常的な葬儀は、様々な部分に「スキマ」があり、セットやパックの文字がチラシ広告の中で躍っているが、情報社会の到来と言われていても、まだまだ葬儀の世界は20年遅れ。二重の悲しみに陥られる被害者が増えていくように思っている。

 最近、葬儀の変革ニーズが多様化してきている。画一化に対する抵抗感が強く、自分流というような個性化が求められており、これまで考えられなかったことが問題として表面化されつつある。

上述した今秋の講演の際、質疑応答の中に次のような発言をされた方があった。

「葬儀は、一体、誰のためのものなのですか? 死者のため? それとも送る家族のためのものですか? 何度かお通夜でお説教を聴きましたが、お寺さんは、死者のことから離れ、家族からも離れた遠い作法のことや、ご自分の話をされており疑問を感じました」

「現在の葬儀が、火葬場までの途中の儀礼的な『処理』のように扱われるているように思え、抵抗感を抱いています。やはり、礼儀と節度が重視される儀式であって欲しいと願っています」

 こんな提起をされるような方も少なくないのである。

私は、真剣に対応してきたつもりだが、これらは、真摯に受け止めなければならない重みのある言葉。人生の重要な通過儀礼という言葉を思い出しながら、自身の仕事の重要性を再認識した瞬間でもあった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net