2002-07-30

有為転変   NO 149

午前0時を回ると日付が変わり、昨日、そして今日も1日遅れとなってしまい、誠に申し訳なく思っています。

 今日は、講演。ビデオ映像を交えながら90分のオシャベリを担当した。

講演とは一方通行でお聴きいただくもの。受講された方々それぞれの感じ方は異なるだろうが、「葬儀がこんな時代になっていたとは知らなかった」というお声を数名の方から頂戴し、何とか「えにし」に結ばれた義務だけは果たせたようだ。

 講演を担当した場合、出席されていた人から「私の所属する団体で、講師を」と依頼されることが多いが、私は、そんな時、次のような絶対的条件を付している。

<受講された講演を主催された方、若しくは私を講師として推薦してしてくださった方。そのどちらかを窓口としてお申し込み願うこと>

  講演活動を積極的に取り組んではいるが、業者以外は一切の謝礼を受け取らず、完全なボランティアとして活動しているし、一人でも多くの方に葬儀の意義、人 生の重みをご理解願うことが葬祭文化の向上につながると信じているからなのですが、「えにし」というマナーだけは大切にという思いも秘めているのです。

 今日の講演で、予定していたシナリオを変更するべきということがあった。それは、受講者の中に、お一人だけだが宗教者の方がおられ、宗教に関する部分を半分ぐらい割愛することにした。

 社会変化やニーズの変化を語る時、宗教を離れて語ることは出来ず、宗教の重要性を説くと共に、一部の宗教者の批判も現実として仕方のないところである。

 日本の葬儀の大半は仏教形式であるが、お寺様にも神式、クリスチャンの葬儀の実際もご理解いただきたいし、無宗教形式がどのような「かたち」で行われているのかも、是非お知り願いたいと心から思っている。

「無 宗教? そんなことは愚か者のすることだ」と、一笑に付されるお寺様も多いが、なぜそんなことが流行して来ているのかと、社会背景を洞察されること。そし て、これらの事実を真摯に受け止められ、今後にどのように進むのか、それらを台風の進路予想を行なうように、社会への情報提供が求められているように思え てならないところである。 

 これまでに何度か書いたが、無宗教は熱帯低気圧から完全な台風に成長してしまっているし、本土への上陸は、宗教者や我々葬儀社に被害が及ぶ以上に、真の被害者が社会であることを真剣にお考えいただきたいと願っている。

「体感に勝るものはなし」という言葉があるが、自分の世界が置かれている現状を確認されるには、それが最上の近道であるように思う。

 過日の宗教者の皆様への講演もそうであったが、「こんなことになっていたのか?」では遅すぎる。行動されるなら今しかない。

 社会は確実に動いているのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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