2005-08-20
オシャベリの品と貧 NO 1246
高校野球の準決勝、大阪桐蔭が惜敗した。スポーツニュースでハイライトを観たが、2試合ともドラマティック。誰にも描けないシナリオだからいつまでも人気があり、暑い甲子園球場が満席になるのだろう。
NHKに比べて民放の実況アナウンサーは騒がしい。喋り過ぎだし「絶叫」は恥ずかしさを覚えてしまう。
一方で政治の世界もワイドショーになってきた。囲碁の世界に「打って返し」というのがあるが、賛成派、反対派の両派が描いていたシナリオが予想外で、互いが「書き直し」に追っかけられている状況。選挙に対する国民の関心が異常に高いとも報じられている。
マイクを向けられたインタビュー、政治家それぞれに個性はあるが、オシャベリが素晴らしいという人物が見当たらない。
スピーチはユーモアも重要なキーワード。「怨みつらみ」を述べているようでは情けない。その時の表情がどれだけ票を減らすか考えたいもの。
名前は伏せるが過去に話題になった二人の女性議員、スピーチと表情を見ていたら<更年期障害の躁鬱?>を感じてしまう恐ろしさだった。
今日、静岡の反対派議員のコメントとホリエモンのスピーチを観たが、二人に共通する言葉で聞き苦しい言葉が連発されていてガッカリ。それを伝えていたアナウンサーまで連発しているのだから笑ってしまった。
その言葉は過去ログにも書いたが「ですね調」というタイプ。一分間に何度?と数えていたら9回も出てきた部分があった。
徳光アナウンサーの「えぇ~」で始まる言葉遣いも最悪だが、「えぇ~」「あの~」なんて言葉を接続詞のように使用するのは聞き苦しい。さわやかに伝達する言葉とは、まず、そんな言葉を使用しないことから始めるべき。
『えぇ~、それはですねえ、私個人的にはですねえ、皆さんが思っているようにですねえ、進めたいとしてもですねえ』
「いい加減にしろ!」と言いたいのをご理解いただけるだろうが、これらは「やっぱり」の連発と同じでインテリジェンスの欠落と分析される問題である。
この「ですね調」を過去ログに書いた際には「大学教授の講義に多い」パターンと提起した記憶があるが、まさしく日本語の乱れを顕著に物語る事実としてご興味を抱かれたら幸いだ。
これまでに何度も書いたが「文字」と「言葉」は美しくありたいもの。
悪筆から成長できない私は「言葉」だけでもと学んできたが、自分自身が嫌になることを何度も体験して落ち込みの連続という歴史があるし、それは間違いなくこれからも続くことになる。
「言は動を変化させる」と塾生達に例を示して教えた筈だが、それだけは確かなこと。聞く人達にさわやかに聞こえるオシャベリは伝達力がアップするし、何より時間を短く感じさせる効力があると知って欲しいものである。