2005-12-03

責任感  NO 1351


 自宅のすぐ近くに公園がある。昨夜遅くの帰宅途中、そこに棲みつく猫達の姿を見た。

 その中にかわいい二匹の仔猫が走り回っている。それを目にした妻から「連れて帰る?」と言われて参ることに。

 自宅に二匹の猫が居る。今、足元に転がって寝ているが、3匹目となれば世話が大変。これまでの長い歴史で妻の連れてきた猫には「やんちゃ」が多く、家の中のあちこちに傷跡が残っている。

 ペットの存在に癒されることからすれば、そんなことぐらいは些細なことでいいのだが、家族の一員のようになって死を看取るのが辛い。言葉の通じないペットの病気や老いていく姿は堪らなく悲しい。

  さて、塾生達との交流から意外なことが起きつつある。独り言やブログを訪問くださるご同業の司会者さんからのメールや手紙が激増してきているから。その大 半が既成の葬儀に対する「疑問」と「悩み事」だが、それは、その人の意識改革に生まれた成長意欲の表れを物語っている。

 それぞれに返信を差し上げることは不可能だが、中には<このままでは?>と、現在の仕事から離れてしまいそうな方もあり、一方には「助けてください」という悲痛な叫びの声もある。

 そんな方々に一言申し上げたいことがある。それは、塾生達の行動力。時間を費やし遠い所から高額の交通費を負担してやってくる。その中には私以外の人が講師となったセミナーに参加した人達もいるが、そんな彼らが求めてくるのは進行係的司会技術ではない。

与えられた式場空間で自身がどのような立場で仕事を担当するべきかを学び、その重要性に目覚めたから。美辞麗句の言葉を追い掛けることがどれほど低次元なものなのか、司会者が陥る落とし穴に気付いたことが「学び」の行動につながっているのだろう。

 葬儀の場、そこに素朴な疑問を抱くことにこそヒントがある。開式前に騒がしいこともあるだろうが、それを「無言」で静寂な空間にさせる技術なんて誰も発想もしなかったこと。塾生達が共感を覚えたのはそんな部分かも知れない。

 弊社に「就職を」と切々と訴えて来られる方も多いが、理想の環境は<勝手な思い込みでは?>と感じてしまう。まずは、ご自身が置かれている立場でもう一度真剣にお考えになるべきとアドバイスをしたい。

私の「隠れ家」で過ごされた1時間で、一ヵ月後に信じられないレベルの司会者に変貌された方もいる。それは「そうだったのだ!」という何かに気付かれたから。

 これまでに発想してきた様々なサービスやオリジナルソフト、それは、自分が送られる時は<どうなのだろうか?>という考えの積み重ねで生まれたもの。

塾生達に伝えたいことは、原則として三つだけ。自身が故人の立場になること、遺族の立場になること、弔問者や会葬者になって考えることで、決して司会者としての成長だけを目指すなということ。司会屋さん、進行係さんという軽い存在にならないで欲しい。

 司会者の「者」は「人」の意味。葬儀社の司会<社>から、葬儀<者>の司会<者>になりたいもの。そんなことをシャーシャーと言う「変なオジサン」今日も元気で生かされている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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