2006-03-02
臆病過ぎるかな? NO 1441
毎日の通勤コース、寒い日はどうしても商店街を選択してしまう。歩くスピードも気温によって変化、冷たさが自然に歩行速度を上げているよう。
商店街はタイル張りの道、その継ぎ目で体調変化が測定出来るのも面白い。お疲れモードでは5センチ、いや10センチぐらいも歩幅が縮まっていることもあり、健康チェックのバロメーターともなっている。
過日の銭湯での「のぼせ」事件、商店街の皆さんに知れ渡っているよう。おじさんやおばさん達から「大丈夫?」「無理しないで」と、温かい声を掛けられた。
さて、ネット社会とは便利である。図書館が何百も入っているような世界、情報入手には欠かせない時代となった。もっぱら開いているのは病気、病院、健康のページだが、ここまで詳しいと医師が遣り難いと思う患者が増えると想像する。
健康食品に関するページが山ほどあるが、そんな中に「ガンが見事に消えました」なんて記述があり、信じてしまう人達も多いと考えてしまう。
そこで大切なのは客観的な立場で捉えること。そうすることで冷静な真贋の判断にもつながるし、被害に遭うことが防げるだろう。
被害者側立場から情報に接することになれば、一方通行の宣伝を信じてしまい、時には医師まで悪者に見えてくるだろう。藁をもつかむ深刻な病人や家族にとって、そんな強迫ビジネスがいっぱい存在していることも知りたいもの。
日本航空がゴタゴタしている。労働組合が九組織もあるというのも異常だが、人の命を軽んじて忘れてしまっているような社風を感じる。
細かいビス1本を重視する整備姿勢も大切だが、航空会社という女性の憧れの職場にあって提起したいことがある。チケット予約の電話担当者から搭乗口スタッフまで、全ての地上勤務者も真剣に「命」のつながりを考えて欲しいもの。
自分が電話で対応したお客さん、荷物を預かった際に対応したお客さん、その人達が<事故で亡くなったらどうなる!>と思いながら仕事に携われと命じたい。マニュアルの前に自分の家族を搭乗させると考えること。
「私達は地上勤務のサービス担当」と思っていたら大間違い、「機長や客室乗務員の責任、整備の不備だ」と逃げるようなら社員じゃなく、事故の再発は絶対に防げない。社員全員が「命」の仕事に従事している自覚を抱いて欲しいものである。
前に書いたが、私の性格ではJR、航空会社、タクシー会社の経営は勤まらない。毎日恐怖に怯えて間違いなく精神的に参ってしまうだろう。故人の霊前へ参上 する姿や被害者の家族へ謝罪する光景を浮かべるだけでも病気になる。そんな臆病な私が葬儀社の社長をしているのだから皮肉なことかも。
事故の葬儀は我々も担当したくないのが本音、それは、救いのない悲しみの場をいっぱい目にしてきたから。だから旅客運送業に従事する人達に伝えたい。末端の事務職の人にも責任があることを。
娘ファミリーがアメリカから帰国する約14時間のフライト、恐らく日本航空を利用する筈。かわいい2人の孫も搭乗するが、安全な飛行を願ってしまう爺さんなのである。
国会のメール事件、また、ある大学の不祥事の謝罪会見のテレビニュース、そこで「謝罪したいと思います」という発言がおかしな日本語。「謝罪します」と言うべきだろう。司会者の発言にも多い「思います」だが、<思ってどうするの?>と疑問を抱く言葉である。