2006-06-18

祥瑞の兆し  NO 1539


 中国の曹操の詩に併せ託された想い、そんな詩が添付されたメールを頂戴すると手の痺れを通り越し心身すべてが痺れるようで、もっと万葉集を勉強しておくべきだったと後悔を。

 ネットの縁で交流が始まった人が多いが、メールや手紙を読むだけで震えが来るレベルの方もいっぱいおられ、その返信にあって、自身の無力を嘆き悲しむことが多過ぎて難渋している。

 そんな中、前々から約束をしていた遠来のお客様を迎え、新しい仕事についてのアドバイスをしていたら、不思議なことに別口で、我が業界に多大な影響を及ぼす可能性のある提案が飛び込み、近日中に参上する予定で進められている。

 最近、私の周囲に不思議なことが多い。ホリエモンが「想定外」の言葉を流行させ、彼は結果として悪い方向に進んでしまったが、私の「想定外」はすべて「好ましい」ことばかり。「ご仏縁」の絆に手を合わせる日々が続いている。

 ちょっと脱線するが、数日前、深夜の徘徊でシーン第2ホール前の居酒屋に寄ったら、2人の女性の先客が。私は蕎麦を注文する変な客だが、マスターの配慮があって彼女達から話し掛けられてびっくり。2人は私が入院していた病院の看護師さんだった。 

 そこから病院の話題で盛り上がったのは当然だが、私が先に店を出た後、間違いなくマスターから葬儀社の社長と教えられて驚かれただろうと想像する。

 どんな仕事でも苦労話は勉強になる。時には悲喜交々の話題が酒の肴になることもあろうが、医師や看護師さんと葬儀社の話は「命」が係わるところから意義深いこととなる。

 ここで誤解のないように申し上げるが、弊社は病院との癒着は一切ないのが誇り。病院へのお迎えはお客様から直接という姿勢を頑なに貫く会社。だから「命」の会話が堂々と出来るから有意義なのである。

 さて、話を本線に戻して嬉しいことがあったので披露を。塾生達がやりとりしている掲示板、そこに「命の伝達式」を行ってご遺族から称賛されたという報告があった。

その葬儀が行われたのは地方だが、「やさしいね。東京でもこんな形式の葬儀は体験ないよ」と言われたそうで、「大阪の塾で悲しみの研鑽を」と申し上げたら感激されたというのだから喜ばしい限り。近々、その塾生にメールを送信してやろうと考えている。

 感激や称賛というものは演出レベルに生じるものではない。担当する「人」の心が「そうあるべき」と信じる行動にこそ生まれるもの。取り敢えず「よかったね!」の言葉を送っておこう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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