2002-06-26

ブラジル 珍道中   前 編   NO 117

ワールドカップ、ブラジルが決勝へ進出した。

オリンピックと異なり、これだけ各国の国民が盛り上がる競技大会であることを初めて知ることになった。

選手達のプレー、それは何より「生」の躍動を感じ、自分自身が生きていることを認識することにもなる。

 そんなブラジル選手の活躍を見ながら、20数年前に夫婦で南米に出掛けたことが懐かしく思い出されてきた。
旅行目的は妻の遠い親戚からの縁で、先方から存命中にどうしても会っておきたいという、切望に対する行動であった。

 ブラジルには10日間滞在したが、日本を出発してからは全くの珍道中で、大陸の大きさや国民性の違いを学んだことは貴重な体験となった。

 羽田を飛び立った飛行機、旅行会社の話ではロスアンゼルスに直行と言うことだったが、離陸して機長の機内放送で、貨物重量と燃料の関係から、アンッカレッジ経由で飛行するということで驚いた。

 これだけで約5、6時間の遠回り、知らない所を訪れることにもなるとプラス思考で考えてみたが、サンパウロの空港で到着を待つ方々には大変で、その連絡の術がないことが申し訳なかった。

 アンカレッジ、ロスアンゼルス、ペルーのリマを経由し、リオデジャネイロで国内線に乗り換えてサンパウロに向かう訳だが、リオデジャネイロでとんでもないスケジュール変更を余儀なくされた。

 リオデジャネイロとサンパウロの距離は、日本でいうと東京と大阪の距離。サンパウロにはビラコッポスとコンゴニアス空港の二つの空港が存在し、5時間の遠回りは、予定とは異なる空港に向かうことになってしまった。

 サンパウロの二つの空港も、約100キロも離れており、大阪から姫路ぐらいの距離がある。異なる空港で待ちわびておられる方々のことを思うと、気の毒でならない思いに襲われる。

 羽田を離陸してから35時間後にサンパウロに到着したが、案の定、出迎えの方々はおられず、案内所のスタッフが私の名前を書いたプラカードを持っており、そこでこの空港で「待ってください」という伝言を託された。

 事情を確認してみると、着陸予定の空港に到着しないということを先方が知られ、こちらに車で向かうとのこと。道路事情は解らないが、係りの方の話によると3時間程度を要するという。

 ポルトガル語圏の国に、右も左も解らない場所で、ただひたすらに待つ心細さは耐え難いもの。そんな時、パイロットのような帽子を被った人物が近づき、何かを喋りながら私達の荷物を外へ運び出そうとする。

 訳も解らずついて行くと、やがて、その人物がタクシーの運転手であることが分かり、自分の車のトランクに荷物を入れようとされる。身振り手振りで待ち合わせをしていることを伝え、米ドル札をチップとして手渡し、お引取り願った。

 そこで、迎えの方達が来られるまで通貨の交換をしなければと思い、近くにあった両替所でクルゼイロにチェンジした。

 そんな時、また、解らない人物が話し掛けてきて、ポルトガル語が通じないことを知ると、片言の英語でとんでもないことを言い出した。

    ・・・・・・・・・・・・ 明日に続きます
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