2015-10-05

ハートを共有  NO 4332

水引細工 イヤリング前号で紹介した「アートフラワー」の先生だが、函館道新文化センターでの講師として活動される中、次のような紹介案内があった。

「幼い頃、私の住んでいたところは、まだ緑が多く、野や山に咲く花々を、その頃から愛しんでいたように思います。花、それは地上を美しく彩るため、天国から舞い降りて来た優しい魂たち。生きている花が美しいのは、魂があり、心があるからだと私は思うのです。
アートフラワーも、作った人の心が宿り、まるで生きているかのような美しさを放ちます。貴方の心のこもった一輪を一緒に作ってみませんか。レッスンまたはオーダーもお受け致します。この花たちが行く先々に幸せが訪れますように・・・そんな願いを込めて作ります。 生きているお花に敬意を込めて・・・」

創作品に「幸せを願って」製作されるのは「アートフラワー」より「ハートフラワー」と呼ぶべきとも考えるが、それは彼女が行動を共にしている「清雅舎」の女性トップと同じで、やはり本物の「匠」の作品には日本人の心の文化が秘められているようである。

30年以上前に長編小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」を世に出したが、この中で主人公があの世で出会った人物と情操についてやりとりをし、例えとして百合の花で説明する件があった。

情操には「知・美・倫・宗」の4つに分析され、百合という花の名称を知ることを知的情操。その美しい姿を感じることが「美的情操」。自分だけのものではなく多くの人達の目に触れて人を幸せにするように願い、手折ることなくそっとしておく配慮を「倫理的情操」。そしてその命の存在に気付き、また来年も咲いてくれるようにと手を合わすのが「宗教的情操」で、前述の彼女達2人はそんな情操を見事に「かたち」としているように思っている。

JRの大阪駅に2万株以上の様々な花が観られるコーナーがあるとニュースで報じられていたが、次回に大阪駅に行った際に是非とも目にしたいと考えている。

過日に2本の杖を忘れた北海道旅行のことを書いたが、この「独り言」をご笑覧くださった方々から「認知症か?」なんて笑われたが、どうしてそんなことになったかを振り返って考えてみると、ある環境で共通していたことを知った。

それは駅のホームで入線して来る列車を撮影していたからで、1分以下の停車時間なので撮影が済むと荷物を持って乗車しなければならず、壁や柱に立てていた杖をそのままにしていたことになったようである。

忘れてしまった杖は何れ「鉄道忘れ物市」に出て来るだろう。我が家の近くにある商店街の中にもそんな店舗が存在しているが、ありとあらゆる物が並んでいるので驚く世界となっている。

今日の写真は前号で紹介した「清雅舎」の水引アート作品から「イヤリング」を。一本一本の水引に心を念じられていることは昨日も書いたが、手にするとその軽さにびっくりする。イヤリングやネックレスなどは軽い方がよいから歓迎されるだろう。
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