2012-03-29

ふと思い出し  NO 2886


「ピンポーン」とインターホンが鳴った。訪問者を確認すると宗教の名称を言われ、「通信物をポストに入れておきますから読んでください」とのこと。午後に郵便物を確認したら不思議なことに、二つの宗教の通信物が入っていた。

 一つは手をかざして浄霊するという宗教で、そのパンフの中に「服薬がなくなり高血圧治まる」「脊髄空洞症の友人に明るさが」「肩凝りなくなり、イライラが消える」という体験談が掲載され、結構なことだと羨ましく感じる。

 もう一つの方は「生かされている喜びと感謝の気持ちを行動に」という見出しがあり、ページを捲ると「ステキな人生にしませんか? 一日に14回笑おう」というタイトルが目に留まった。

「徳」という字は行人偏に「十」「四」「心」と書きますとある。我々日本人にはこんな文字分析が歓迎されるようで、過去に何度か書いた一文を思い出した。

 小学生時代に学校で習った「小の月」を表現する「西向く士」だが、「士」とは「十」と「一」であり『2・4・6・9・11』月がそれにあたり、残された大の月『1・3・5・7・8・10・12』月が「いざ五七夜の十王」経となるものである。

 戦いに精根尽きた武士が西方浄土のことを思い浮かべ、剣を捨てて十人の「あの世」の裁判官のことを考えるというシナリオで、五七夜とは三十五日にあたり、閻魔大王の担当とされている。

「王」という字は「十」と「二」で成り立っているというこじつけだろうが、この十王経ストーリーはうまく考えられており、あの世の存在を分かり易く説いており、過日に行った歴史博物館にあった「覗きカラクリ」の物語としても語り継がれていたものである。

  この世で一番善いことをしていた人、そして一番悪いことをしていた人は死を迎えると同時に次の世の行き先が決まっており、それ以外の人達は一週間を区切り とし、七日毎に裁判を受けるという教えで、どんな人でも四十九日を迎えることで次の行き先が決まるとされ、中陰(中有)が明けて満中陰を迎えることにな る。

そんな教えにうまく設定されているのが追善供養という考え方で、百箇日、一周忌、三回忌という3回のチャンスで、四十九日に決まっていた行き先を、この世の人達の施す供養でアップグレードが可能となっている。

  この三回と中陰の七回を合わせて十回となり、その10人の裁判官を「十王」と呼ぶ訳だが、閻魔大王は最初に亡くなった人間とも言われ、情に弱くて裁判官と して問題が多く、初七日担当から三十五日担当に変更され、騙されないようにと「情破離」の鏡というビデオ映像みたいなものが用意されているシナリオとも なっている。

 そんなことを描いたのが愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」という小説だが、振り返ってみれば、とんでもないことを書いていたものだと後悔しながら「書く」ことは恥を「掻く」ことだと自身を慰めている歴史となっている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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