2015-07-25

不思議な思い出  NO 4260


紀勢線 車窓から

随分昔に体験した不思議な出来事を紹介しよう。

ある遠方のお寺に隣接する会館で葬儀が行われていた。そこのご隠居されていた先代住職は人望が厚く、社内で「管長さん」という愛称で呼ばれていた。 

葬儀当日の朝、事務所内で朝礼が行われていた時、「あっ、管長さんだ」という一人の社員の声からそこにいた全員が「管長さんだ」とその姿を目撃した。

管長さんはいつものように自転車で走っている光景だったが、午後から式場へ行ったスタッフから衝撃の電話があった。

「信じられません。朝、管長さんのお姿を見みましたよね。その管長さんが亡くなられたそうで、今、病院から寝台自動車で搬送されて戻られたのです」

話によると管長さんは1ヵ月ほど前から体調を崩されて入院されていたそうで、自転車で走ることなんて考えられないこと。朝に目撃したのは幻覚だったのだろうか。社員全員が幻覚を見たということなのだろうか。社内にいたスタッフ全員が沈黙して「信じられない」「嘘だろう」「そんなミステリーみたいなことが」「ご挨拶に来られたのだろうか」なんて言葉が飛び交い、誰もが信じていなかった。

ご逝去が事実と判明したのはそれから10分後だった。後継されているご住職から「寺葬」の依頼電話があったからで、部長がお寺へ参上することになったが、朝の不思議な出来事をご住職に伝えると、「本人が会社に知らせたのかも知れませんね」と仰ったそうだ。

不可解なミステリーと言えば過日のシーンの「会長のコラム」で書いた自動車電話の圏外電波のこともそうだった。瓜破斎場と北斎場の入り口から圏外表示が出たので「この世」と「あの世」も結界なんて思っていたが、瓜破斎場の入り口で後部座席におられたお寺様が「電話を借りるよ」と受話器を取られたら、「あれっ、圏外になっている」と言われ、斎場に納めた帰路は三叉路のところで圏外表示が消えた。

そうそう、ここで三叉路について書いておこう。火葬場やお墓に行った帰りは後ろを振り返らずに往路とは異なる道を戻れという迷信が存在している。そんなところから入り口を三叉路にしたり一方通行にしてあるところもあるので興味深いことである。

「葬儀の使いは一人で行くな」「湯灌は湯に水を足すものではなく反対にして水に湯を足す」「逆さ屏風に逆さ晴れ着」なんて言い伝えも残っているが、いやはや人は迷信に振り回されるものだが、「やるべきでない」となった背景を学ぶことも重要である。

「六曜」に関して面白い言い伝えがある。昔々、中国のある国の統治者が「六曜」を信じており、敵が攻めて来ていることを家臣から聞いても「今日は動いては行けない日だ」と言って逃げずに殺害されてしまったという逸話である。

葬儀に大きな影響を与えている「友引」も室町時代に伝来した当時は「留連」だったと文献にあった。「両方から曳きあって勝負なし」というような意味合いだったそうだが、それが「友引」になった背景に「共に曳きあう」となっていたようだ。

ミステリーと言えばネットの検索でもあった。「幸せ列車」の管理人さんも不思議だと言われていたが、「カンタス航空 575便」や「カンタス航空 718便」と検索すると「幸せ列車」がトップページにヒットするからだ。確認されたらびっくりされる筈だ。

今日の写真は紀勢線の車内から撮影した太平洋。右奥に見える島は串本の向かいにある大島である。
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