2003-05-06

熱帯低気圧    NO 421

この数日の暑さは異常なほど、極めてお疲れモードで非常に堪える。

 もう、今日のお通夜を担当していたスタッフも帰社した頃。肩から背中に掛けての痛みに耐えかね、雨の中、自宅前の銭湯で電気風呂に入ってきた。

 しばしの極楽の時間を過ごし、脱衣場にあるマッサージ器に横たわっていると声を掛けられ、ふと見ると先日に葬儀を担当させていただいた喪主さん。

故郷に納骨する際のしきたりについて質問されたが、「やっと一段落したよ」とおっしゃったお言葉には、一人の方の終焉を送る大変さが滲み出ていた。

 香典を辞退されていたこの葬儀。次の日から「お供え」が山ほど届けられて往生され、「これだったら香典を受け取るべきだった」との体験談は、最近に多い話でもある。

  さて、私がアドバイスを求められ、「プロとしてこんな考え方では恥になりますので」と、お断わりをした東京のホテルでの大規模なお別れ会。数日前に記録写 真を見たが、予測した通り衝撃的なほど恥ずかしいレベルで、「礼節」の欠片も感じない祭壇と進行に故人が気の毒で仕方がなかった。

 故人がお好きだった物とお酒が祭壇に飾られてあるが、直接故人につながる大切な物なのに置いてあるだけ。その奥のご遺影が涙を流しているように思えてならなかった。

 数日後、あるホテルで大規模な社葬が行われるが、会社が「お送りしよう」なんて心情は一切なし。ドライブスルー型の献花バージョンで食事をするだけ。そこに関する受付、誘導、献花を渡すスタッフなどはすべてコンパニオン。その人数が60人というのだから恐れ入る。

 こんな形式の社葬も何度か体験したが、「参列者に料理を食べさせたら文句を言わないだろう」との考えもあり、そんな社葬なら行わない方がいいだろうし、何より故人と立礼に並ぶ遺族が気の毒だ。

 団体葬などでこの形式が多いが、その大半の故人は、俗に言われる「天下り」。世間体で仕方なく社葬をしなければならないという姿勢がありありと見え、式場内は義理の空気しか生まれず葬送の意義なんて完全に消滅している。

  こんな規模の社葬で大きな勘違いをしていることがあるので問題提起したい。義理で行う社葬なら新聞の「黒枠広告」は止めるべき。ホテルという環境を重視し て会場に選ぶなら、絶対に招待形式にするべき。何人の会葬者があるか不明というような社葬は、受けるホテルもサービスの本義から逸脱している。

 前にも書いたが、この形式がこのまま流行すればホテル社葬は間違いなくジリ貧状況を迎えるだろうし、故人にゆかり深い方々だけでの「偲ぶ会」「お別れ会」が主流となる時代に突入し、そこで何を行うべきかという「進行シナリオ」が重視されてくると断言する。

 そんなことを予測して構築した「慈曲葬」。それは、今、社会で静かに流行の風が吹き始めてきたようで、熱帯低気圧を経て台風になるような予測をしているこの頃である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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