2002-12-15

浄土真宗の葬儀では     NO 284

昨日、浄土真宗本願寺派についての毎日新聞の記事を表記し、我々葬儀に携わる立場にある者にも影響が及んでくるということを書いた。

  浄土真宗や日蓮宗の葬儀で、特に神経を遣わなければならないのは「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」という「ご本尊」の存在。祭壇の中央にお掛け軸を準備 するのだが、すべての文字が導師のお席から見えなければならず、天井の低い式場の場合にはアンバランスな低い祭壇設営や、時には故人の遺影を中央からサイ ドにずらすことも行われている。

 大阪での浄土真宗の葬儀は、簡略化されているが、故人の故郷である地方から導師を迎えた場合、正式な式次第を進められることがあり、その時にはそれらを体験されておられない方々が驚かれることもある。

 導師と法中が入場され、まず向かわれるのがご当家のお仏壇。そこで勤行されてから祭壇のある部屋にお入りになることで、お仏壇が2階にあれば、前もってその部屋を片付けておかなければならない。

 葬儀という儀式の中に「引導」という作法は存在せず、それがどうしてかということは、、昨日の記事をお読みになればご理解いただけるだろう。

 それらの背景には、教義とされている「霊魂あるないを問わず」ということがあり、そんなところから「霊前」という言葉も禁句となり、お盆の「迎え火や送り火」も必要がないことなってくる。

 司会にあっても、「冥福を祈る」は絶対的禁句。「冥土」は真っ暗闇の世界。「祈る」はプロの司会者なら誰も使わない言葉となっている。

 過去ログにあるが、弔辞の中に登場する「永眠」「草葉の陰」「幽冥境」「黄泉の国」などにも抵抗感があり、「忌中」は「還浄」。
開式の辞では、「お浄土へご往生。お念仏にて偲ぶ。ご仏前、合掌、礼拝」となる訳だ。

 この他、守り刀や一膳飯は不要。出棺時に茶碗を割らない。線香は立てずに寝かせるなど、他宗とは異なる教義作法があり、これにやって来る親戚達のその地独特の習俗が絡み、葬儀は人を集め、人を走らせるということになっている。

 数年前から、浄土真宗では、全国的に「清め塩」撤廃に向けての行動を始められている。
 会葬礼状に同封されていた「清め塩」。それが入っていないということになれば、参列者が帰宅された時に「?」が発生し、担当した葬儀社へのクレームが殺到する。

 そこで「浄土真宗さんでは」と説明してみても、「私は浄土真宗ではありません」と返されたらそれまで。そんなところから、お寺さん達がその旨を明文化された経緯がある。

 そんな一例を下記申し上げる。


 真宗では、「み仏(阿弥陀如来)」の誓いを信じて念仏を称える者は、この世ですでに「み仏」になる身に約束されています。
 したがって命終とともに浄土に往生させていただくことになっています。
 葬儀場において「死は汚れ」の意味から「お清めの塩」を会葬礼状とともに同封しておりますが、前期にのべましたように本宗の教義にしたがって「お清めの塩」を同封致しておりません。あしからずご了承ください。
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